派手なパフォーマンスもなければ、圧倒的なカリスマ性でファンを熱狂させるタイプでもなかったかもしれない。 しかし、2004年の秋、日本の競馬シーンを完全に支配したのは、漆黒の馬体のゼンノロブロイだった。 テイエムオペラオー以来、史上2頭目となる秋古馬三冠達成。 その偉業は、静かに、しかし力強く、競馬史に刻まれている。
善戦マンからの脱却
エリート街道を歩んできたわけではない。 3歳時はダービー2着、菊花賞4着。4歳春も天皇賞・春2着など、常に「あと一歩」が届かなかった。 体質が弱く、デビューも遅れた。 それでも藤沢和雄調教師は焦らなかった。「10回の調教より1回の実戦」。 その信念のもと、秋初戦の敗北さえも糧にし、彼は着実に力をつけていった。 そして迎えた天皇賞・秋。ついにその才能が開花する。 そこからの彼は、もう「善戦マン」ではなかった。絶対王者だった。
世界標準の強さ
中3週で挑んだジャパンカップでの圧勝劇。 そして、タップダンスシチーとの死闘を制した有馬記念。 特に有馬記念で叩き出した2分29秒5というタイムは、あまりにも衝撃的だった。 20年以上の時が流れ、馬場が高速化してもなお、この数字に迫る馬は現れない。 それは、彼が単なる「強い馬」ではなく、時代を超越した「スーパーホース」であったことの証明に他ならない。
語り継がれる秋
翌年、英国へ遠征しインターナショナルSで僅差の2着に健闘したことも、彼の実力が世界レベルであったことを示している。
引退後、その血は娘たちへと受け継がれ、物語は続いていく。
2022年、彼は天国へと旅立った。
いま改めてそのキャリアを振り返ると、あの秋の輝きがいかに特別だったかが分かる。
藤沢調教師の執念、ペリエ騎手の技術、そしてゼンノロブロイの成長力。
すべてが完璧に噛み合った奇跡の季節。
私たちは忘れない。あの秋、誰よりも速く、誰よりも強かった英雄の名前を。
「彼は本当に強かった。ブラボー、ゼンノロブロイ」
――O.ペリエ




