彼女が駆け抜けた時代は、日本競馬における「性別の壁」が崩壊した時代でもあった。それまで牝馬は牡馬に劣るという固定観念を、その蹄の音で一つ一つ打ち砕いていったのがウオッカだった。彼女が見せたのは、単なる速さではない。運命に抗い、常識を嘲笑うかのような、圧倒的な生命の輝きだった。
64年の重みを一歩で越えて
2007年の春、周囲の反対や懸念を押し切って挑戦した日本ダービー。それは、当時の競馬界においては無謀とも言える選択だった。しかし、角居勝彦調教師と谷水オーナーは彼女の天賦の才を信じた。直線、坂を駆け上がる彼女の姿に、誰もが言葉を失った。アサクサキングスを突き放す三馬身。それは、失われていた牝馬ダービー制覇の歴史を、強引に現代へと引き戻した瞬間だった。あの日、競馬場に詰めかけた女性ファンの涙は、ウオッカが単なる競走馬を超えた存在になったことを示していた。
府中の杜で、神になる
「府中の申し子」と呼ばれた彼女にとって、東京競馬場の直線はまさに独演会の舞台だった。左回りの広大なコース、長く過酷な坂。そこで彼女は、何度となく奇跡を演じた。ダイワスカーレットとの死闘、絶望的な位置から差し切った安田記念、そして最後のジャパンカップ。彼女の美しい馬体、特に東京の緑に映える鹿毛の毛色は、見る者すべてを魅了した。負ける時も潔く、勝つ時は神がかり的に。その潔さと激しさが、多くのファンを惹きつけ、今もなお語り草となっている。
早すぎる別れ、永遠の伝説へ
繁殖馬としてアイルランドへ渡った彼女に、運命はあまりにも非情だった。2019年、蹄葉炎。闘病の末、15歳という若さで彼女はこの世を去った。しかし、彼女が遺したものはあまりにも大きい。かつて「牝馬だから」と囁かれたハンデを、彼女は「ウオッカだから」という賞賛に変えてみせた。今、ターフを駆ける多くの名牝たちの先駆者として、彼女の魂は永遠に走り続けている。私たちが東京競馬場の直線を眺める時、そこには必ず、あの勇壮な「女帝」の幻影が見えるはずだ。
「彼女ほどドラマチックな馬はいませんでした。勝つことも、負けることも、すべてが美しかった」
―― 競馬ファン一同
ウオッカ。その名の通り、混じり気のない、強く、そして清らかな一筋の光。彼女が刻んだ蹄跡は、これからも色褪せることなく、日本の競馬史を照らし続けるだろう。私たちは忘れない。かつて、時代そのものを置き去りにしていった、あの気高き牝馬の姿を。





