その生涯は、決して平坦なものではなかった。1990年、トニービンの初年度産駒として生を受けた彼女を待っていたのは、競走馬として絶望的とも言える「左前脚の内向」という過酷な現実だった。セリでも誰の目にも留まらず、ただ静かに消えていくはずだった運命。しかし、彼女の内側に秘められた「輝き」を見抜いた人々が、彼女をターフへと導いた。
三ヶ月間の、閃光のごとき疾走
デビューからの道のりは、まさに「一等星」が夜空を横切るような鮮烈さだった。武豊という若き才能と出会い、彼女はその歪んだ脚で、誰よりも速く、誰よりも力強く地面を蹴った。桜花賞で見せた勝負根性、オークスで見せた圧倒的な加速力。脚部不安からくる調教不足を、持って生まれた天賦の才だけで凌駕していく姿は、見る者の心を激しく揺さぶった。わずか三ヶ月の間に、彼女は日本競馬の頂点へと登り詰めたのである。
悲劇すらも、伝説のスパイスに変えて
しかし、神様は彼女にさらなる試練を与えた。三冠をかけたエリザベス女王杯、彼女はレース中に骨折という深手を負う。激痛の中、それでも彼女はゴールを目指した。結果は3着。歴史的な大番狂わせを演出した「ベガはベガでも、ホクトベガ」という言葉の裏で、彼女は一言の不平も漏らさず、ただ静かにターフを去る準備をしていた。その負傷さえも、彼女の物語をより深く、切ないものへと昇華させた。
受け継がれる、不滅の輝き
引退後、彼女は母として新たな奇跡を起こす。初仔のアドマイヤベガがダービーを制し、アドマイヤドンが砂の王座に君臨した。自らが成し遂げられなかった夢、そして自らの脚に宿っていた「走る喜び」を、彼女は子供たちに託したのである。2006年、突然の別れが訪れたが、彼女が残した血の灯火は、孫のハープスターへと、そしてその先の世代へと脈々と受け継がれている。
「彼女の脚は曲がっていた。けれど、彼女の心は、どの馬よりも真っ直ぐにゴールを見据えていた」
夜空を見上げれば、そこには今も変わらずベガが輝いている。西の一等星。かつて地上のターフを駆け抜けたその光は、今も私たちの記憶の中で、決して色褪せることなく瞬き続けている。私たちは忘れない。逆境を跳ね返し、天にまで届くような輝きを見せた、孤高の名牝の姿を。




