トウショウボーイ:天馬が変えた日本競馬の地平
Tosho Boy

The Tenma Tosho Boy

「空を飛んでいる」と、
人々は彼の走りをそう呼んだ。

PROFILE

生誕1973.04.15
調教師保田隆芳 (美浦)
主戦騎手武邦彦 / 福永洋一
通算成績15戦10勝 [10-3-1-1]
主な勝鞍 皐月賞 (八大競走)
有馬記念 (八大競走)
宝塚記念
高松宮杯、神戸新聞杯

PEDIGREE

FATHER
テスコボーイ
(英国) 1963
Princely Gift
Suncourt
×
MOTHER
ソシアルバターフライ
(米国) 1957
Your Host
Wisteria

父は日本競馬のスピード化を加速させた大種牡馬、母は米国スピード血統の結晶。 その配合は「魔法使い」の翼を与えられたかの如く、地面を滑るように走る独特のフォーム「天馬」の走法を生み出した。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 15 RUNS 10 - 3 - 1 - 1
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1977.12.18有馬記念中山 / 芝2500m武邦彦2nd
1977.11.27天皇賞・秋東京 / 芝3200m武邦彦7th
1977.10.23オープン中山 / 芝1600m黛幸弘1st
1977.06.26高松宮杯中京 / 芝2000m武邦彦1st
1977.06.05宝塚記念阪神 / 芝2200m武邦彦1st
1976.12.19有馬記念中山 / 芝2500m武邦彦1st
1976.11.14菊花賞京都 / 芝3000m福永洋一3rd
1976.10.24京都新聞杯阪神 / 芝2000m福永洋一1st
1976.10.03神戸新聞杯阪神 / 芝2000m福永洋一1st
1976.07.11札幌記念札幌 / ダ2000m池上昌弘2nd
1976.05.30日本ダービー東京 / 芝2400m池上昌弘2nd
1976.04.25皐月賞東京 / 芝2000m池上昌弘1st
1976.03.20れんげ賞中山 / 芝1800m池上昌弘1st
1976.02.22つくし賞東京 / ダ1400m池上昌弘1st
1976.01.314歳新馬東京 / 芝1400m池上昌弘1st
CAREER HIGHLIGHTS

天馬の証明

01
Satsuki Sho
7-13
1976.04.25 / 東京 2000m

THE AWAKENING

第36回 皐月賞

厩務員ストの影響で東京開催となった一戦。のちに「TTG」としてしのぎを削るテンポイントとの初対決。トウショウボーイは直線で異次元の加速を見せ、ライバルを5馬身突き放す圧勝劇を演じた。「天馬」の伝説がここから始まった。

TIME
2:01.6
MARGIN
5 lengths
02
Kobe Shimbun Hai
2
1976.10.03 / 阪神 2000m

SPEED REVOLUTION

第24回 神戸新聞杯

「2分の壁」が常識だった時代。天才・福永洋一を背に、トウショウボーイは日本競馬の歴史を塗り替える1分58秒9という驚愕のレコードを叩き出した。地を這うような走法で駆け抜けたその姿に、観客は言葉を失った。

1着 トウショウボーイ2着 クライムカイザー
03
Arima Kinen 1976
8-12
1976.12.19 / 中山 2500m

THE CHAMPION

第21回 有馬記念

菊花賞での惜敗を経て迎えたグランプリ。ファン投票1位の期待に応え、宿敵テンポイントを再び完封。中山の短い直線で力強く抜け出し、現役最強の座を不動のものとした。この勝利で年度代表馬の座も手中に収めた。

TIME
2:34.0
RESULT
1st
04
Arima Kinen 1977
1
1977.12.18 / 中山 2500m

ETERNAL RIVALRY

第22回 有馬記念

引退レース。テンポイントとのマッチレースは「競馬史上最高の名勝負」として今も語り継がれる。クビ差敗れたものの、3着馬を6馬身引き離したその走りは、二頭が他馬とは別次元の存在であることを証明する伝説のフィナーレとなった。

1着 テンポイント2着 トウショウボーイ
DATA ANALYTICS

魔の2分壁を
粉砕した衝撃

1976年の神戸新聞杯。トウショウボーイが叩き出した1分58秒9という数字は、単なる記録以上の意味を持っていた。2000m走で2分を切ることが物理的限界とさえ囁かれた時代に、彼はその壁を1秒以上も一気に突き破ったのである。このレコードはその後長きにわたり、日本競馬における「スピードの絶対指標」として君臨し続けた。

1:58.9

JAPAN RECORD

2000m 走破時計

※1976 神戸新聞杯

RECORD BREAKING

常識を塗り替えた瞬間
TYPICAL BEST (70s)2:00.1
CONVENTIONAL LIMIT
TOSHO BOY (1976)1:58.9
THE NEW FRONTIER
TIME REDUCTION-1.2s
QUANTUM LEAP
タイム短縮の衝撃度
TENMA
お尻の筋肉が素晴らしかった。
これほどの馬は二度と現れない。
調教師 保田隆芳
追悼コメントより
レースに負けてもいいから、
あいつにだけは勝とうと思った。
主戦騎手 武邦彦
1977年有馬記念を回想して
FAN VOICES

ファンからの声

S

あの有馬記念の直線、心臓が止まるかと思いました。トウショウボーイとテンポイント。二頭の意地とプライドがぶつかり合う音まで聞こえてくるような、神聖な時間でした。

H

経営が苦しい時にトウショウボーイの仔が売れて救われました。彼は私たちの「お助けボーイ」。馬産地の人間にとって、彼はただの名馬以上の存在、英雄なんです。

M

皐月賞で彼を見た時、名前の通り本当に「天馬」だと思いました。地面を蹴るんじゃなく、滑るように加速していく。あんなに美しい走りは後にも先にも彼だけです。

BEHIND THE SCENES

秘蔵エピソード

「天馬」と呼ばれた英雄の知られざる素顔

01

空を飛ぶ「天馬」の走法

トウショウボーイの代名詞である「天馬」。その由来は、彼独特の首を低く下げた走行フォームにある。新馬戦で手綱を取った池上騎手は「何もしていないのに気づいたら先頭に立っていた」と語り、その浮遊感に驚愕したという。ストライドを極限まで伸ばし、地面との摩擦を感じさせない加速は、まさに物理法則を超えた芸術品だった。

02

馬産地を救った「お助けボーイ」

引退後、彼は「お助けボーイ」という愛称で呼ばれた。内国産種牡馬が冷遇された時代、トウショウボーイは並外れた受胎率と産駒の活躍で、倒産寸前の中小牧場を次々と救った。オーナーの「日高のために」という厚意でシンジケートを組まず、多くの牧場がその恩恵を受けた。彼が日本の血統地図に残した功績は計り知れない。

Ten Point
THE ARCHRIVAL
DESTINY

TEN POINT

テンポイント

天馬が空を飛ぶために必要だった、もう片方の翼。それが「流星の貴公子」テンポイントだった。端正な顔立ちとドラマチックな血統背景を持つライバル。彼らがターフで顔を合わせるたび、日本中は熱狂の渦に包まれた。

1977年、冬。二頭は互いだけを見つめ、中山の直線を駆け抜けた。クビ差。そのわずかな距離の中に、当時の日本競馬のすべてが詰まっていた。戦いを終えた二頭の姿は、敵対するライバルというよりも、高め合う戦友のようであった。

1977有馬記念
2ndトウショウボーイ
vs
1stテンポイント

地平を拓いた天馬

地平を拓いた天馬

かつて日本競馬が、まだスタミナと忍耐のゲームだった頃。突如として現れた一頭の鹿毛馬が、その価値観を根底から覆した。トウショウボーイ。その走りは、それまでの「競走」という言葉の枠組みを逸脱し、まるで重力から解き放たれたかのような軽やかさを湛えていた。彼こそが、日本競馬に「スピード」という名の革命をもたらした先駆者だった。

魔法使いの息子

父テスコボーイ。その名の通り「魔法」のようなスピードを伝える種牡馬の最高傑作として、トウショウボーイは生を受けた。デビュー戦で見せた、他馬を子供扱いするような加速。それは、単なる素質の片鱗ではなく、新時代の幕開けを告げる咆哮だった。皐月賞、神戸新聞杯。彼が刻むレコードタイムは、当時の常識では計り知れない「未来の数字」だった。

TTGの狂騒曲

彼を語る上で欠かせないのが、テンポイント、グリーングラスと共に歩んだ「TTG」の時代だ。特にテンポイントとの対決は、単なる勝敗を超えたロマンティシズムを競馬ファンに与えた。天馬の「剛」と、貴公子の「柔」。ぶつかり合うたびに火花を散らす両雄の姿は、昭和の競馬シーンを最も眩しく彩った。1977年有馬記念。引退を控えた彼は、宿敵に自らの背中を追い越させ、伝説のバトンを託したのである。

繋がれる天馬の血

現役引退後も、彼の伝説は終わらなかった。内国産種牡馬が不遇を囲う中、彼はミスターシービーという三冠馬を送り出し、さらには自らの仔を売って牧場の借金を返す「お助けボーイ」として馬産地を支え続けた。走って、愛されて、そして次代を救う。その生き様こそが、彼が「天馬」として神格化される所以である。

「彼は私の人生そのものであり、日本競馬の誇りだった」
――保田隆芳

トウショウボーイが駆け抜けた20世紀のターフ。そこには、今のような洗練されたシステムはなかったかもしれない。しかし、一頭の馬が放つ圧倒的な輝きが、人々の心を動かし、文化を変え、未来を創る。その真理を、私たちは彼から教わった。天馬は今も、私たちの記憶という空を飛び続けている。