日本の競馬史において、これほどまでに愛され、これほどまでに惜しまれた馬はいない。テンポイント。その名は、1970年代のターフを鮮烈に駆け抜けた一筋の流星として、今なお語り継がれている。しかし、その輝きは、あまりにも短く、あまりにも壮絶な最期によって永遠のものとなった。
数奇な血統と、悲運の影
その誕生からしてドラマチックだった。祖母クモワカの伝貧誤診事件。殺処分命令から秘密裏に逃れ、生き延びた血脈。母ワカクモが桜花賞でその雪辱を晴らし、その結晶としてテンポイントはこの世に生を受けた。輝くような栗毛に、真っ直ぐな流星。その美しさは瞬く間にファンを虜にしたが、クラシックでの敗北は彼に「悲運の貴公子」という切ない称号を与えた。勝てない。届かない。宿敵トウショウボーイの影を追う日々。その苦悩が、彼の物語をより一層深く、情緒的なものへと変えていった。
世紀の一戦、そして栄光
1977年、冬の中山。有馬記念。それは、それまでのすべてを懸けた戦いだった。スタートから他を寄せ付けず、二頭だけで駆け抜けた2500メートル。実況すら沈黙するほどの、魂を削り合う叩き合い。ゴール板を駆け抜けたとき、テンポイントはついに宿敵をクビ差でねじ伏せた。日本中が沸き立ち、誰もが「世界」を確信した。彼はついに悲運を払い、真の王者となったのだ。しかし、運命はあまりにも残酷なシナリオを用意していた。
43日間の奇跡
海外遠征への壮行レース、1978年日経新春杯。雪の舞う京都で、非情な音が響いた。左後肢の開放骨折。通常なら即座に安楽死が選ばれる絶望的な状況。しかし、競馬場に鳴り響く電話の嵐、ファンからの助命嘆願。日本競馬史上、例を見ない治療チームが結成された。ボルトで繋がれた脚、衰弱していく馬体。彼は43日間、必死に生きようとした。その姿は、競馬ファンのみならず、病に苦しむ子供たちや、困難に立ち向かうすべての人々に勇気を与えた。1978年3月5日。300kgを下回るまで痩せ細りながらも、彼は最期まで一頭の戦士として誇り高く旅立った。
「テンポイント! テンポイント! 返事をしてくれ!」
―― 厩務員 山田幸守
彼が逝った後、競馬界の斤量制度は大きく見直された。彼の犠牲は、後の名馬たちの命を守る礎となったのである。通算18戦11勝。数字だけでは語り得ない、その美しき疾走と、日本中を涙させた43日間の記憶。テンポイントは、今もなお私たちの心の中に、消えることのない流星となって輝き続けている。





