20世紀の終わり、ミレニアムイヤーと呼ばれた2000年。 日本競馬史において、これほどまでに「完璧」という言葉が似合う一年は他になかっただろう。 テイエムオペラオー。 サンデーサイレンス系全盛の時代に、欧州の重厚な血統を武器に現れたこの栗毛の王者は、 年間8戦8勝、G1・5勝という、空前絶後のグランドスラムを成し遂げた。
若き騎手と共に歩んだ道
彼の背中には常に、若き日の和田竜二がいた。 デビューから引退までの全26戦、一度も手綱を譲ることはなかった。 クラシックでナリタトップロードやアドマイヤベガとしのぎを削った4歳時(現3歳)、 勝ちきれないレースが続いた時も、岩元調教師は乗り替わりを拒否した。 「和田を降ろすなら転厩させる」。 師匠の覚悟と、それに応えようとする若武者の執念。 そして何より、パートナーの成長を待つかのようなオペラオーの度量の深さが、最強のチームを築き上げていった。
包囲網を打ち破る「個の力」
その強さが頂点に達したのは、2000年の有馬記念だろう。 年間全勝がかかった大一番。ライバル陣営は一丸となって「打倒オペラオー」の包囲網を敷いた。 四方を完全に塞がれ、直線入り口でも行き場がない絶体絶命のポジション。 誰もが「終わった」と思ったその時、彼はわずかな隙間に自ら飛び込み、こじ開けた。 それは騎手の指示を超えた、王者の本能だったのかもしれない。 ゴール寸前での逆転劇。年間全勝という神話が完結した瞬間だった。
覇王が遺したもの
翌年、新時代の足音が近づくと共に、王者の力にも陰りが見え始めた。 それでも彼は走り続けた。ボロボロになっても、王座を守るために。 引退式での和田騎手の涙。「オペラオーには何も返せなかった」という言葉は、 17年後、彼がミッキーロケットで宝塚記念を制した時に「オペラオーが背中を押してくれた」という感謝へと変わる。
「彼はただ強いだけじゃない。人の想いを背負って走る、真の英雄だった」
――関係者談
獲得賞金18億3518万円。 その記録は後に更新されたが、世紀末に見せたあの圧倒的なパフォーマンスの価値が下がることはない。 派手な圧勝劇よりも、どんなに苦しい展開でも最後は必ずハナ差だけ前に出ている、その泥臭いまでの勝負根性。 テイエムオペラオー。 彼こそは、世紀末に降臨し、新世紀へとバトンを繋いだ、永遠の「覇王」である。





