Super Creek

The Mentor Super Creek

「天才」が、
最初に信じた最強の相棒。

PROFILE

生誕1985.05.27
調教師伊藤修司 (栗東)
主戦騎手武豊
通算成績16戦8勝 [8-2-2-4]
主な勝鞍 天皇賞・秋 (G1)
天皇賞・春 (G1)
菊花賞 (G1)
産経大阪杯 (G2)、京都大賞典 (G2)

PEDIGREE

FATHER
ノーアテンション
(仏) 1978
Green Dancer
No No Nanette
×
MOTHER
ナイスデイ
(日本) 1979
インターメゾ
サチカメ

父はフランスの長距離重賞で活躍しスタミナを伝えたノーアテンション。母の父はグリーングラスなどを輩出した重厚な欧州血統インターメゾ。 HyperionとNearcoのクロスを持つその血統は、「無尽蔵のスタミナ」と引き換えに「ガラスの脚」という脆さも内包していた。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 16 RUNS 8 - 2 - 2 - 4
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1990.10.07京都大賞典 (G2)京都 / 芝2400m武豊1st
1990.04.29天皇賞・春 (G1)京都 / 芝3200m武豊1st
1990.04.01産経大阪杯 (G2)阪神 / 芝2000m武豊1st
1989.12.24有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m武豊2nd
1989.11.26ジャパンC (G1)東京 / 芝2400m武豊4th
1989.10.29天皇賞・秋 (G1)東京 / 芝2000m武豊1st
1989.10.08京都大賞典 (G2)京都 / 芝2400m武豊1st
1988.12.25有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m武豊DSQ
1988.11.06菊花賞 (G1)京都 / 芝3000m武豊1st
1988.10.16京都新聞杯 (G2)京都 / 芝2200m武豊6th
1988.09.25神戸新聞杯 (G2)阪神 / 芝2000m武豊3rd
1988.03.19すみれ賞 (OP)阪神 / 芝2200m武豊1st
1988.02.14きさらぎ賞 (G3)京都 / 芝2000m南井克巳3rd
1988.01.17福寿草特別京都 / 芝2000m武豊4th
1987.12.263歳新馬阪神 / 芝2000m田原成貴1st
1987.12.053歳新馬阪神 / 芝2000m田原成貴2nd
CAREER HIGHLIGHTS

天才の証明

01
Kikuka Sho
8-17
1988.11.06 / 京都 3000m

THE MIRACLE

第49回 菊花賞

賞金順位は出走枠外の19番目。それでも武豊は「クリークに乗れないなら見学する」と他馬の依頼を断り、奇跡を待ち続けた。 運命の繰り上がり出走。天才の信頼に応えた彼は、淀の長丁場で覚醒する。 5馬身差の圧勝。史上最年少のクラシック騎手誕生と共に、伝説のステイヤーがその真価を現した。

TIME
3:07.3
MARGIN
5 Lengths
02
Tenno Sho Autumn
3
1989.10.29 / 東京 2000m

THE TACTICS

第100回 天皇賞(秋)

怪物オグリキャップを倒すため、武豊が導き出した完璧な「解」。 スピードで勝るライバルに対し、一瞬の切れ味とコース取りで勝負に出る。 内ラチ沿いを突き抜け、オグリの猛追をクビ差封じ込めたその騎乗は、 後に「オグリの夢を砕いた神騎乗」として語り継がれることになる。

1着 スーパークリーク 2着 オグリキャップ
03
Arima Kinen
2-2
1989.12.24 / 中山 2500m

THE DEAD HEAT

第34回 有馬記念

オグリキャップが沈み、イナリワンとの一騎打ちとなった平成元年最後のグランプリ。 直線、互いに譲らぬ壮絶な叩き合い。 結果はハナ差の2着に敗れたが、このレースは「平成三強」の実力が伯仲していたことを証明する名勝負となった。 負けてなお強し。彼の安定感は際立っていた。

TIME
2:31.7
JUDGE
Hana
04
Tenno Sho Spring
8
1990.04.29 / 京都 3200m

THE EMPEROR

第101回 天皇賞(春)

秋の盾に続き、春の盾もその手に。 タマモクロス以来史上2頭目となる天皇賞秋春連覇の偉業を達成。 3200mという長丁場こそが、ステイヤーの血を引く彼にとっての独壇場だった。 イナリワンを半馬身抑え込み、現役最強ステイヤーの座を不動のものとした。

1着 スーパークリーク 2着 イナリワン
DATA ANALYTICS

天才騎手との
驚異の連対率

武豊騎手とコンビを組んだレースは通算12戦。そのうち着外に沈んだのはわずか2回のみ。 残る10戦ですべて連対(2着以内)を果たし、勝率は58%、連対率は驚異の83.3%を誇った。 「最も乗りやすい馬」と天才に言わしめたその安定感は、激動の平成三強時代において異彩を放っていた。

83.3%

QUINELLA RATE

武豊騎乗時 連対率

※全12戦中10連対

PERFECT CHEMISTRY

天才との相性
TOTAL RACES (WITH YUTAKA) 12 RACES
FULL CAREER
QUINELLA (1st or 2nd) 10 TIMES
STABILITY
WIN RATE 58.3%
HIGH SCORE
抜群の安定感
SUPER CREEK
クリークは僕を天才にしてくれた馬。
G1を勝つための方法論を、彼が教えてくれた。
主戦騎手 武豊
インタビューより
10の能力があっても、脚元のせいで
7か8で仕上げざるを得なかった。それでも勝った。
調教師 伊藤修司
管理馬を振り返って
FAN VOICES

ファンからの声

H

当時はオグリキャップを負かすクリークが憎らしかった。 でも今思えば、あの強敵がいたからこそオグリが輝いたんだと分かる。 武豊の完璧な騎乗には脱帽するしかなかった。

Y

ステイヤーなのに自在性があって、とにかく賢い馬でした。 あのガラスのような脚で、よくぞこれだけの成績を残してくれた。 武豊騎手とのコンビは、人馬一体の芸術品を見るようでした。

U

「お母さん」キャラとして描かれる理由を調べて納得。 若き日の武豊さんを育てた馬だったんですね。 史実を知ってからレース映像を見ると、包容力のある走りに感動します。

BEHIND THE SCENES

秘蔵エピソード

天才騎手と名ステイヤーの絆が生んだ、知られざる物語

01

菊花賞の「逆指名」

1988年の菊花賞。スーパークリークの賞金順位は出走枠外の19番目で、出走は絶望的だった。 しかし、当時19歳の武豊は「クリークに乗れないなら菊花賞は見学する」と宣言し、 確実に出走できる他馬からの騎乗依頼をすべて断り続けた。 その執念が通じたのか、直前で回避馬が出て奇跡的に出走が叶う。 そして5馬身差の圧勝劇。天才の直感と覚悟が、歴史を動かした瞬間だった。

02

天まで昇る乗り心地

武豊騎手は後に、自身が騎乗した名馬たちの乗り味を独特の表現で語っている。 メジロマックイーンを「地の果てまで走れる感覚」と評したのに対し、 スーパークリークについては「天まで昇っていくような感覚」と表現した。 背中が柔らかく、指示に対して瞬時に反応する究極の操作性。 名前の「小川(クリーク)」とは裏腹に、その走りは大河のように雄大だった。

Oguri Cap
THE MONSTER
DESTINY

OGURI CAP

オグリキャップ

地方から這い上がり国民的英雄となった怪物オグリキャップ。 その対極に位置し、立ちはだかる「壁」となったのがスーパークリークだった。

1989年、天皇賞(秋)。 武豊はクリークのスタミナと器用さを信じ、内ラチ沿いを強襲する作戦に出る。 外から猛追するオグリを封じ込めたその走りは、オグリファンの悲鳴を生み、 同時に「武豊は天才だ」という評価を決定づけた。

ヒーローとヒール。熱狂と冷静。 正反対の二頭がぶつかり合ったからこそ、平成の競馬ブームはあれほどまでに熱を帯びたのだ。

1989 天皇賞(秋)
1st スーパークリーク
vs
2nd オグリキャップ

選ばれなかったエリート

選ばれなかったエリート

セリ市で、彼に手を挙げる馬主は誰もいなかった。 良血ではあるが、左前脚が外向している。その一点が嫌われたのだ。 「売れ残り」となった彼を見出したのは、名伯楽・伊藤修司調教師だった。 「脚元は弱いが、歩く姿が良い」。その慧眼がなければ、平成を代表するステイヤーは歴史に埋もれていたかもしれない。

天才との邂逅

デビュー後も脚部不安はつきまとった。常に「ガラスの脚」を抱えながらの調整。 そんな彼が出会ったのが、デビュー2年目の若き天才・武豊だった。 人馬の波長は奇跡的に合った。 武豊はクリークの知性と操作性の高さに惚れ込み、クリークは若武者の指示に全霊で応えた。 1988年菊花賞。出走すら危ぶまれた状況から掴み取った栄冠は、単なる1勝以上の意味を持っていた。 それは、武豊が「本物の天才」へと脱皮し、スーパークリークが「最強のパートナー」として覚醒した瞬間だった。

憎らしいほどの強さ

古馬となってからの彼は、まさに円熟の極みにあった。 天皇賞(秋)、天皇賞(春)と盾を連覇し、オグリキャップやイナリワンといった強敵たちと渡り合う。 特にオグリキャップ人気が社会現象となる中で、冷静沈着にその進路を塞ぎ、勝利をさらっていく彼の姿は、 多くのファンにとって「憎らしいほどの強さ」として映った。 しかし、そのヒール役としての強さがあったからこそ、平成三強の物語は深みを増したのである。 彼は決して派手なパフォーマンスを見せる馬ではなかったが、 「勝つために必要なこと」を誰よりも理解している知的なアスリートだった。

「オグリがいなければクリークはヒーローだったかもしれない。
だが、クリークがいなければオグリは伝説にならなかった」

引退後、彼は静かに余生を過ごし、2010年に25歳でこの世を去った。 それは奇しくも、ライバル・オグリキャップが旅立った約2ヶ月後のことだった。 天国でも彼らは競い合っているのだろうか。 武豊を育て、オグリキャップと競い、平成の競馬界を支えた名優。 スーパークリークという名は、大河のような雄大さとともに、永遠に語り継がれていく。