競馬の歴史において、これほどまでに「if」を語らせる馬はいないだろう。もし、彼にガラスの脚という宿命がなければ。もし、クラシックの舞台に彼が立っていたら。サクラローレルの蹄跡は、常に故障という深い闇に縁取られながら、それゆえにこそ、放たれた光はあまりにも鮮烈だった。
三冠馬の影で、じっと耐えた季節
1991年5月、稀代の怪物ナリタブライアンとわずか5日差で生まれたサクラローレル。しかし、その後の二頭の道は残酷なほどに対照的だった。ナリタブライアンが3馬身、5馬身、7馬身と後続をちぎり捨て、歴史的な三冠馬として競馬界の太陽となった頃、ローレルは球節炎や骨折に喘ぎ、薄暗い厩舎で脚の熱が引くのを待つ日々を過ごしていた。 「本当なら去年、このレースを勝っていたはずなんだ」 1996年の春、境勝太郎調教師が漏らしたその言葉には、誰よりもその才能を信じながら、咲かせてやれないことへの名伯楽の痛恨が滲んでいた。
沈黙を破る、一瞬の閃光
384日の休養。それは、競走馬にとっての永遠に等しい時間だ。1996年の中山記念、誰がこの馬の勝利を信じただろうか。9番人気という冷ややかな評価。しかし、サクラローレルは生きていた。直線の坂を駆け上がるその姿には、かつての脆弱さは微塵もなかった。 そして迎えた天皇賞(春)。先行するマヤノトップガンを、三冠馬ナリタブライアンが競り落とす。誰もが怪物の復活を確信した。だが、その外から、異次元の勢いで迫る一頭の影があった。サクラローレル。一完歩ごとに怪物を追い詰め、並び、そして鮮やかに抜き去った。ガラスの脚が、歴史を塗り替えた瞬間だった。
桜は散り際まで美しく
有馬記念を制し年度代表馬となった後の1997年。フランスの空の下、凱旋門賞という夢を目前にして、彼の脚は三度悲鳴を上げた。屈腱不全断裂。予後不良という最悪の言葉が飛び交う中、彼はまたしても生き残る。 その後の種牡馬生活を経て、2020年、彼は28歳という天寿を全うした。最期まで穏やかに、誇り高く。 サクラローレルという馬が残したのは、数字上の記録だけではない。何度踏みつけられても、どれほど深い雪に埋もれても、春になれば必ず美しく咲き誇る。その不屈の意志は、今もなおターフを愛する人々の心の中に、消えない桜吹雪として舞い続けている。
「彼はポニーのように優しかった。でも、走る時だけは誰にも負けない魂を持っていた」
――厩舎スタッフの回想より
私たちは決して忘れない。1996年の春、三冠馬という巨星を飲み込んだ、あの美しき「不屈の桜」の輝きを。





