サクラチヨノオー:昭和最後を飾った不屈のダービー馬
Sakura Chiyonoo

The Last Hero Sakura Chiyonoo

父が立てなかった舞台で、
彼は「奇跡」を刻んだ。

PROFILE

生誕1985.02.19
調教師境勝太郎 (美浦)
主戦騎手小島太
通算成績10戦5勝 [5-1-1-3]
主な勝鞍 東京優駿 (GI)
朝日杯3歳ステークス (GI)
弥生賞 (GII)
芙蓉特別、3歳新馬

PEDIGREE

FATHER
マルゼンスキー
(日本) 1974
Nijinsky
Shill
×
MOTHER
サクラセダン
(日本) 1972
セダン
スワロー

父は「スーパーカー」と呼ばれた無敗の伝説馬、母は重賞馬を次々と送り出した名牝。持込馬という制限ゆえにダービー出走が叶わなかった父マルゼンスキーの無念を晴らすべく生まれた、サクラ軍団期待の結晶。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 10 RUNS 5 - 1 - 1 - 3
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1989.06.11宝塚記念 (GI)阪神 / 芝2200m小島太16th
1989.05.14安田記念 (GI)東京 / 芝1600m小島太16th
1988.05.29東京優駿 (GI)東京 / 芝2400m小島太1st
1988.04.17皐月賞 (GI)東京 / 芝2000m小島太3rd
1988.03.06弥生賞 (GII)東京 / 芝2000m小島太1st
1988.02.14共同通信杯4歳S (GIII)東京 / 芝1800m小島太4th
1987.12.20朝日杯3歳S (GI)中山 / 芝1600m小島太1st
1987.10.31いちょう特別東京 / 芝1600m小島太2nd
1987.10.03芙蓉特別中山 / 芝1600m小島太1st
1987.08.083歳新馬函館 / 芝1000m小島太1st
CAREER HIGHLIGHTS

不屈の蹄跡

01
Asahihai 3-Year-Old Stakes
5-5
1987.12.20 / 中山 1600m

THE FIRST GLORY

第39回 朝日杯3歳ステークス

新馬戦から圧倒的なスピードを見せてきたチヨノオーが、ついに世代の頂点へ。 最終直線、粘るツジノショウグンをクビ差競り落とし、1番人気の期待に応える。 父マルゼンスキー譲りの類まれなる素質が、初めてGIという最高峰の舞台で結実した瞬間だった。

TIME
1:35.6
FAVORITE
1st
02
Yayoi Sho
7
1988.03.06 / 東京 2000m

THE REVENGE

第25回 弥生賞

共同通信杯での敗北から、周囲には「早熟説」が囁かれ始めていた。 しかし、小島太騎手は逃げの手を選択。強気のラップを刻み続け、直線でも他馬を寄せ付けなかった。 距離への不安を自らの脚で封じ込め、クラシック最有力候補として再び名乗りを上げた復活劇。

1着 サクラチヨノオー 2着 トウショウマリオ
03
Tokyo Yushun
2-5
1988.05.29 / 東京 2400m

THE MIRACLE

第55回 東京優駿(日本ダービー)

皐月賞3着で「無印」にまで評価を落とした屈辱の日。 直線、一度はメジロアルダンに半馬身のリードを許し、勝利は絶望的かと思われた。 しかし、坂を登りきった場所で彼は驚異の差し返しを見せる。 クビ差。父の立てなかった舞台で、彼は歴史を塗り替えた。

TIME
2:26.3
RECORD
NEW
04
Takarazuka Kinen
12
1989.06.11 / 阪神 2200m

LAST BATTLE

第30回 宝塚記念

ダービー後の大怪我を乗り越え、ターフに戻ってきた。 結果は最下位16着、そしてレース中の再発。 かつての輝きは失われていたが、不屈の心で最後まで走り抜いた姿は、昭和の最後を彩るダービー馬の誇りに満ちていた。

1着 イナリワン 16着 サクラチヨノオー
DATA ANALYTICS

限界を超えた
レコードホルダー

1988年の日本ダービー。それは15万人を超える大観衆が伝説を目撃した日だった。 サクラチヨノオーが叩き出した2分26秒3というタイムは、当時のダービーレコードを0.2秒更新するもの。 メジロアルダンに一度抜かれながら、ゴール寸前で差し返すという常識外れのスタミナと根性が、この究極の時計を生み出した。

2:26.3

DERBY RECORD

1988年 東京優駿

※当時のコースレコード

RECORD BREAKING

新時代の扉を開いた脚
PREVIOUS RECORD (1982) 2:26.5
BAMBOO ATLAS
SAKURA CHIYONOO (1988) 2:26.3
THE NEW LIMIT
TIME DIFFERENCE -0.2s
NECK DIFFERENCE
タイム更新幅
CHIYONOO
見えない何かが、
馬を後押ししてくれた。
主戦騎手 小島太
勝利直後のコメント
スターオーの霊が、
後ろを押してくれたのかな。
馬主 全演植
悲願のダービー制覇にて
FAN VOICES

語り継がれる奇跡

S

新聞各紙が「無印」にしたことを、これほど後悔させた馬はいなかった。 坂の上で一度完全に置かれながら、そこからまた伸びる。あの執念こそがダービー馬の資格だ。

M

父マルゼンスキーの無念を知る世代にとって、チヨノオーの勝利は単なる一勝ではなかった。 あの瞬間、昭和の競馬が一つの完成形を迎えたような、そんな神聖な空気を感じた。

U

ゲームを通じて彼を知りましたが、史実を調べて驚きました。 こんなにドラマチックな逆転劇が実際にあったなんて。今では一番好きな馬です。

BEHIND THE SCENES

坂の上の物語

レコードの影に隠された、人と馬の深い絆

01

全オーナーと小島騎手の和解

実は、サクラチヨノオーのデビュー前、全オーナーと小島騎手は一時疎遠な関係にあった。 しかし、一頭の馬がその絆を繋ぎ止めた。「チヨノオーは大仕事をやる気がする」。 陣営の説得により再び手綱を取ることになった小島騎手は、その期待に日本最高の舞台で答えてみせた。 壊れかけた信頼を修復したのは、他ならぬチヨノオーの「走る気概」だった。

02

亡き父と、亡き友への捧げ物

ダービー開催のわずか半年前、小島騎手は最愛の父を亡くしていた。 そして全オーナーもまた、ダービーの3週間前に不世出の天才馬サクラスターオーを亡くしたばかり。 悲しみの中にいた二人は、チヨノオーが差し返した瞬間に「何か」を感じたという。 それは、空の上で見守っていた魂たちが、馬の背中を力強く押した瞬間でもあった。

Mejiro Ardan
THE ARCHRIVAL
DESTINY

MEJIRO ARDAN

メジロアルダン

名門メジロ牧場が送り出した、気品溢れる実力者。 1988年のダービーにおいて、残り200mでチヨノオーを捉え、完全に先頭に立ったのは彼だった。

「勝った」――岡部幸雄騎手ですらそう確信した一瞬の隙。 しかし、その慢心を見逃さなかったチヨノオーの執念が、彼を再び2番手へと引き戻した。

その後も怪我に悩まされながら、天皇賞・秋などで一線級の戦いを繰り広げたアルダン。 彼という気高い壁が存在したからこそ、サクラチヨノオーのレコード勝ちは永遠の輝きを得たのだ。

1988 東京優駿
1st サクラチヨノオー
vs
2nd メジロアルダン

父の夢、坂の上の奇跡

父の夢、坂の上の奇跡

1970年代後半、日本競馬界に一頭の「スーパーカー」が現れた。マルゼンスキー。 8戦無敗、圧倒的な実力を持ちながらも、持込馬という制度の壁に阻まれ、ダービーのゲートに立つことさえ許されなかった。 「賞金もいらない、他の馬の邪魔もしない、だからダービーを走らせてくれ」。 主戦の中野渡騎手が叫んだあの無念から11年。その血を継ぐ一頭の栗毛が、父の果たせなかった夢を背負って府中のターフに現れた。

無印のダービー馬

サクラチヨノオー。朝日杯を制し、弥生賞で逃げ切った彼は、本来ならば世代の主役であるはずだった。 しかし、皐月賞での失速は周囲の評価を冷酷に変えた。「2400mは長すぎる」「早熟のマイラーだ」。 ダービー当日、スポーツ新聞の印は冷たく「無印」が並んだ。 15万人の大観衆が見つめる中、彼はかつての父が夢見た舞台で、孤独な戦いに挑むこととなる。

一度折れた心が、再び燃えた瞬間

レースは過酷だった。大逃げを打つ馬を追い、平均ペース以上の流れに身を投じる。 最終直線、坂を駆け上がる途中で、内から伸びたメジロアルダンに一度は完全に交わされた。 誰の目にも勝負は決したかに見えた。実況も、観客も、そしておそらくは騎手ですら。 だが、サクラチヨノオーの心だけは折れていなかった。 父が走れなかったこの道を、無様に負けたまま終わらせるわけにはいかない。 坂を登りきった瞬間、彼はまるで別人のような加速を見せる。「差し返し」。 一度抜かれた馬が再び抜き返す、競馬において最も困難で、最も美しい逆転劇が、ダービーのゴール板前で繰り広げられた。

昭和の終わりを告げるレコード

2分26秒3。掲示板に刻まれた数字は、当時のレコードを塗り替える歴史的な記録だった。 全オーナーが涙を流し、小島騎手が「何かが後押しした」と語ったあのクビ差。 それは、父マルゼンスキーの魂と、若くして散ったサクラスターオーの想いが重なった、まさに「奇跡」の結晶だった。

「この馬は本当に強い。最高の状態だった」
――小島太

その後、彼は故障に泣き、かつての輝きを取り戻すことなく静かに引退した。 しかし、あの坂の上で見せた驚異の粘りは、今もなお競馬ファンの語り草となっている。 昭和という激動の時代が幕を閉じる直前、私たちは見たのだ。 一頭のサラブレッドが、血の宿命を背負い、執念だけで歴史をねじ伏せた、あの至高の瞬間を。