サクラバクシンオー:短距離界の絶対王者
Sakura Bakushin O

The SprinterSakura Bakushin O

「1200メートルに、
敵はいない。」

PROFILE

生誕1989.04.14
調教師境勝太郎 (美浦)
主戦騎手小島太
通算成績21戦11勝 [11-2-1-7]
主な勝鞍スプリンターズS (G1) 2連覇
スワンステークス (G2)
ダービー卿CT (G3)
クリスタルカップ (G3)

PEDIGREE

FATHER
サクラユタカオー
(日本) 1982
テスコボーイ
アンジェリカ
×
MOTHER
サクラハゴロモ
(日本) 1984
ノーザンテースト
クリアアンバー

父は府中の2000mを驚異的なレコードで制した快速馬、母は天皇賞馬アンバーシャダイの全妹という超良血。溢れ出すスピードと繊細な脚元を併せ持つ「ガラスの驀進王」の血統的源泉がここにある。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 21 RUNS11 - 2 - 1 - 7
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1994.12.18スプリンターズS (G1)中山 / 芝1200m小島太1st
1994.11.20マイルCS (G1)京都 / 芝1600m小島太2nd
1994.10.29スワンS (G2)阪神 / 芝1400m小島太1st
1994.10.09毎日王冠 (G2)東京 / 芝1800m小島太4th
1994.05.15安田記念 (G1)東京 / 芝1600m小島太4th
1994.04.03ダービー卿CT (G3)中山 / 芝1200m小島太1st
1993.12.19スプリンターズS (G1)中山 / 芝1200m小島太1st
1993.11.27キャピタルS (OP)東京 / 芝1400m小島太1st
1992.12.20スプリンターズS (G1)中山 / 芝1200m小島太6th
1992.04.18クリスタルC (G3)中山 / 芝1200m小島太1st
1992.01.124歳新馬中山 / ダ1200m小島太1st
CAREER HIGHLIGHTS

短距離王の証明

01
1993 Sprinters Stakes
5-8
1993.12.19 / 中山 1200m

TEARS VICTORY

第27回 スプリンターズS

開催のわずか9日前、最愛のオーナー全演植氏が急逝。主戦・小島太は遺影を胸に、悲しみを闘志に変えてターフに立った。唸る快速を武器に、当時の日本レコード1分7秒9で圧勝。ゴール後、天を仰ぎ涙した小島騎手の姿は、今も競馬史に残る伝説の恩返しとなった。

TIME
1:07.9
STATUS
RECORD
02
1994 Swan Stakes
14
1994.10.29 / 阪神 1400m

SPEED DOMINATION

第37回 スワンステークス

最強マイラー・ノースフライトとの歴史的激突。1400mという舞台は、彼の独壇場だった。ノースフライトの追撃を影すら踏ませず完封し、1分19秒9という驚異の日本レコードを樹立。この記録は23年もの間、阪神競馬場のコースレコードとして君臨し続けることになる。

1着 サクラバクシンオー 2着 ノースフライト
03
1994 Mile Championship
4-8
1994.11.20 / 京都 1600m

NOBLE LIMIT

第11回 マイルCS

「1600mを克服できるか」。悲願のマイルG1制覇をかけ、再びノースフライトと対峙。直線、一度は先頭に躍り出たものの、最後はライバルの底力に屈し2着。距離の壁を認めざるを得ない敗戦だったが、この「潔い負け」こそが彼を最強のスプリンターとして定義づけた。

DISTANCE
1600m
RESULT
2nd
04
1994 Sprinters Stakes Final
8
1994.12.18 / 中山 1200m

PERFECT FINALE

第28回 スプリンターズS

引退レースとして臨んだ大舞台。国際競走となったこの年、米国の強豪ソビエトプロブレムを子ども扱いし、4馬身差の独走劇を見せる。1分7秒1という、当時の常識を破壊する究極のレコード。それは日本競馬に「スプリント時代の到来」を告げる、完璧なる幕引きだった。

1着 サクラバクシンオー 2着 ビコーペガサス
DATA ANALYTICS

絶対的な
距離支配率

サクラバクシンオーの強さを語る上で欠かせないのは、その極端なまでの距離適性である。1400m以下のレースにおける勝率は91.6%。一方で1600m以上では一度も勝つことができなかった。この「短距離での絶対的支配」こそが、彼を史上最強のスプリンターたらしめる最大の根拠である。

91.6%

WINNING RATE

1400m以下 勝率

※21戦11勝中、1400m以下12戦11勝

DISTANCE APTITUDE

圧倒的スペシャリスト
OVER 1600M 0%
NO VICTORIES
UNDER 1400M 91.6%
ABSOLUTE KING
TOTAL WINS 52.3%
CAREER TOTAL
1400m以下での支配力
BAKUSHIN
あのスピードの感触は、
他の馬では絶対に味わえない。
主戦騎手 小島太
回想インタビューより
これが最後かもしれない。
常にそう覚悟して送り出していた。
調教師 境勝太郎
脚部不安との闘いの日々
FAN VOICES

受け継がれる熱狂

S

引退レースの中山。1分7秒1という時計が出た瞬間、場内がどよめいたのを覚えています。あれから30年、彼を超えるスプリンターにはまだ出会えていません。

B

キタサンブラックが天皇賞を勝つたびに、母の父であるバクシンオーの名前が挙がるのが嬉しい。スピードだけじゃない、勝負根性も血に流れている。

U

ウマ娘から入りましたが、史実を知って驚きました。あんなに前向きなキャラの裏側に、脚の弱さやオーナーへの想いがあったなんて。さらに好きになりました。

BEHIND THE SCENES

驀進王の素顔

ガラスの脚を持ちながら、彼は誰よりも速く駆け抜けた

01

ガラスの脚と献身

バクシンオーは常に脚部不安という爆弾を抱えていた。境調教師は「いつ壊れてもおかしくない」と、毎日氷で脚を冷やすスタッフの献身的なケアに全幅の信頼を置いていた。その脆さがあったからこそ、陣営は一戦一戦を「最後のレース」として全力で挑み、あの完璧な成績を築き上げたのだ。

02

形見のネクタイピン

1993年のスプリンターズS。小島太騎手は、亡きオーナー全演植氏の形見であるネクタイピンを勝負服の裏に忍ばせて騎乗した。直線、馬が自ら加速するのを感じた時、小島は「オーナーが押してくれている」と確信したという。勝利後の男泣きは、主戦騎手とオーナーの深い絆の証だった。

North Flight
THE ETERNAL RIVAL
DESTINY

NORTH FLIGHT

ノースフライト

サクラバクシンオーが「最強」を証明するために立ちはだかった、マイルの女王。 1994年、二頭は三度にわたって激突した。

1400mではバクシンオーが圧倒的スピードでねじ伏せ、1600mではノースフライトが女王の貫禄を見せつける。 互いの「聖域」を侵させないその戦いは、競馬における距離適性の重要さをファンに知らしめた。

激闘の末に認め合った二頭の絆は、引退後、パドックで両陣営の調教師が「この二頭の産駒が見たい」と語り合ったという逸話に集約されている。

1994 MILE CHAMPIONSHIP
2nd バクシンオー
vs
1st ノースフライト

光速の彼方に見た未来

光速の彼方に見た未来

「サクラバクシンオー」。その名は、30年の時を経た今なお、日本の短距離界において不滅の輝きを放っている。1200メートルという極限の世界で、彼が見せた走りは単なる「速さ」の追求ではなかった。それは、脆く繊細な脚元という宿命を抱えながら、一瞬の閃光に命を燃やした、美しくも峻烈な魂の記録である。

挫折から見出した「一矢」

当初、陣営は彼にクラシックの夢を託した。しかし、皐月賞トライアルでの大敗。父サクラユタカオー譲りの天賦のスピードは、距離が延びるほどに牙を剥き、自らを苦しめた。「この馬は、短い距離でしか生きられない」。その残酷なまでの適性を突きつけられた時、境勝太郎調教師は迷わず舵を切った。日本競馬にまだ「スプリンター」という言葉が定着していなかった時代、彼は専門職としての道を歩み始めた。

愛と哀しみのスプリント

彼のキャリアを象徴するのは、1993年のスプリンターズSだろう。サクラ軍団の総帥であり、小島太騎手が父と慕った全演植氏の死。その悲しみの中で、バクシンオーはかつてない走りを見せた。当時の日本レコード。それはまるで、亡きオーナーへの弔砲のようだった。ゴール板を過ぎた後、小島騎手の肩が震えていた。馬と人、そしてオーナー。三者の絆が結実したあの瞬間、バクシンオーは単なる速い馬から、ファンの心に深く刻まれる「名馬」へと昇華した。

永遠に続く、驀進の記憶

最後のレースとなった1994年のスプリンターズSで見せた、1分7秒1という数字。それは21世紀の競馬においてもトップレベルとして通用する、時代を先取りしすぎた究極の到達点だった。引退後、彼は種牡馬としても成功を収め、その血は孫のキタサンブラックへと受け継がれ、中長距離の舞台をも制圧した。

「彼は、日本競馬にスピードの価値を教えてくれた。私にとっても、人生最高のパートナーだった」
――小島太

私たちは今、ターフを駆け抜ける馬たちの向こう側に、時折彼の面影を見る。ゲートが開いた瞬間の爆発力、コーナーを回る際のしなやかさ。かつて中山の急坂を、阪神の直線を、文字通り「驀進」したあの鹿毛の馬体。サクラバクシンオーが残した「光速の軌跡」は、これからも日本競馬が続く限り、決して色褪せることはない。