1990年代初頭。日本競馬は、ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、そしてナリタタイシンという「BNW」の三強が織りなす激動の時代にあった。その中でナリタタイシンは、常に「逆境」を背負った存在だった。他の馬より数ヶ月遅れて生まれ、牝馬と見紛うほどに華奢な身体。下馬評では常にライバルたちの後塵を拝し、三番手としての評価が定位置だった。
「届かない」を覆す、究極の機能美
しかし、彼はその身体に宿るすべてを、わずか数百メートルの直線に集約させた。中山の短い直線、あるいは阪神の急坂。周囲が「届かない」と確信したその瞬間、彼のエンジンは点火する。武豊の導きにより、馬群のわずかな隙間を「剃刀」のように切り裂いて突き進む姿は、もはや競走という域を超え、一種の芸術的な閃光であった。皐月賞で鼻差差し切ったあの時、彼は「小さき者」が「大きな期待」を打ち砕く快感を、日本中に知らしめたのである。
苦難の向こう側にあった誇り
輝かしい栄光の裏で、彼は体質の弱さとも戦い続けた。菊花賞前の肺出血、そして引退の引き金となった屈腱炎。肉体がその爆発的な精神力に耐えきれなくなるまで、彼は走り続けた。1994年の目黒記念で見せたトップハンデでの勝利は、彼が単なる「展開に恵まれた追い込み馬」ではなく、真に強靭な心肺と意志を持ったアスリートであったことの証明である。
永遠に消えない「剃刀」の航跡
引退後、種牡馬としては恵まれなかったが、彼は30歳という長寿を全うし、静かにこの世を去った。BNWの三頭が駆け抜けたあの眩い季節。最後までその鋭さを失わなかった「最小の皐月賞馬」の物語は、今もなお、ファンの心の中で鮮烈な弧を描き続けている。私たちがターフの直線で一陣の風を感じる時、そこには必ず、静寂を切り裂くナリタタイシンの影が揺れているはずだ。
「彼は、その小ささこそが誇りだった」
――競馬史の傍白
ナリタタイシン。その名は、逆境にあるすべての者へのエールとして、これからも競馬の聖典に刻み続けられるだろう。


