1992年、その馬は「サイボーグ」と呼ばれていた。感情を殺し、機械のように正確なラップを刻み、他馬を寄せ付けない逃げを見せる。しかし、その鋼鉄のイメージの裏側には、血の滲むような、あまりにも人間臭い努力の物語が隠されていた。
師弟の絆と、栗東の坂路
戸山為夫という不世出の指導者と、小島貞博というベテラン騎手。この二人の執念が、ミホノブルボンという作品を作り上げた。戸山は信じていた。「スタミナは後から付けられる」と。その実験台となったのが、短距離血統と揶揄されたブルボンだった。毎日、他の馬が逃げ出すような坂路の4本追い。彼はそれに耐えた。一歩一歩、筋肉を鎧に変え、肺活量を極限まで高めていった。その姿は、走るというよりも、何かに挑んでいるようだった。
夢、潰えてなお輝く
無敗のまま挑んだ菊花賞。3000mの壁は、ライスシャワーという刺客となって彼の前に立ちはだかった。三冠の夢が消えたあの瞬間、ブルボンは初めて「馬」に戻ったのかもしれない。その後、度重なる故障により彼はターフに戻ることはなかった。しかし、その短い競走生活は、記録よりも記憶に深く刻まれた。
永遠のサイボーグ
「鍛錬」は人を、そして馬をどこまで高みに連れて行けるのか。ミホノブルボンはその答えを私たちに残してくれた。1000mをレコードで勝ち、2400mを圧勝し、3000mで散る。その全てのステップに、戸山調教師の汗と小島騎手の涙、そしてブルボン自身の不屈の魂が宿っていた。
「馬は鍛えれば、どこまでも強くなる。彼はそれを、命をかけて証明してくれた」
――競馬関係者の回想より
2017年、彼は静かにこの世を去った。しかし、今も栗東の坂路には、彼の蹄音が響いているような気がする。機械のような正確さで、しかし誰よりも熱い命を燃やして駆け抜けた、栗毛の超特急。ミホノブルボンという伝説は、これからも私たちの心の中で走り続けるだろう。




