Mejiro Ryan

The Eternal Idol Mejiro Ryan

「一番強い」と信じ抜いた。
その想いが、奇跡を呼んだ。

PROFILE

生誕1987.04.11
調教師奥平真治 (美浦)
主戦騎手横山典弘
通算成績19戦7勝 [7-4-3-5]
主な勝鞍 宝塚記念 (G1)
京都新聞杯 (G2) ※レコード
弥生賞 (G2)、日経賞 (G2)
アメリカJCC (G2)

PEDIGREE

FATHER
アンバーシャダイ
(日本) 1977
ノーザンテースト
クリアアンバー
×
MOTHER
メジロチェイサー
(日本) 1977
メジロサンマン
シエリル

父は古馬になってから大輪を咲かせたスタミナの権化、母系はメジロ軍団の誇る良血。不器用ながらも力強い末脚を支えたのは、父譲りの成長力と、名門メジロ牧場が育んだ豊かな底力であった。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 19 RUNS 7 - 4 - 3 - 5
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1992.03.22日経賞 (G2)中山 / 芝2500m横山典弘1st
1992.01.26アメリカJCC (G2)中山 / 芝2200m的場均1st
1991.12.22有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m横山典弘12th
1991.06.09宝塚記念 (G1)京都 / 芝2200m横山典弘1st
1991.04.28天皇賞・春 (G1)京都 / 芝3200m横山典弘4th
1991.03.10中山記念 (G2)中山 / 芝1800m横山典弘2nd
1990.12.23有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m横山典弘2nd
1990.11.04菊花賞 (G1)京都 / 芝3000m横山典弘3rd
1990.10.14京都新聞杯 (G2)京都 / 芝2200m横山典弘1st
1990.05.27日本ダービー (G1)東京 / 芝2400m横山典弘2nd
1990.04.15皐月賞 (G1)中山 / 芝2000m横山典弘3rd
1990.03.04弥生賞 (G2)中山 / 芝2000m横山典弘1st
1990.01.20ジュニアC (OP)中山 / 芝2000m横山典弘1st
1989.12.23ひいらぎ賞中山 / 芝1600m横山典弘1st
1989.12.03葉牡丹賞中山 / 芝2000m安田富男5th
1989.11.183歳400万下東京 / 芝1600m横山典弘2nd
1989.10.293歳400万下京都 / 芝1400m横山典弘3rd
1989.07.223歳新馬函館 / 芝1200m柏崎正次1st
1989.07.093歳新馬函館 / 芝1200m柏崎正次2nd
CAREER HIGHLIGHTS

不屈の挑戦者

01
Japan Derby
1-1
1990.05.27 / 東京 2400m

THE DREAMER

第57回 日本ダービー

1番人気に支持された晴れ舞台。中団待機から直線、外から力強く伸びたが、逃げるアイネスフウジンを捕らえきれず2着。19年後、主戦・横山典弘がダービーを制した際、真っ先に口にしたのは、この日届かなかったライアンへの想いだった。

TIME
2:25.5
POPULAR
No.1
02
Arima Kinen
8
1990.12.23 / 中山 2500m

THE STALKER

第35回 有馬記念

伝説のオグリキャップ復活劇。その背後に、猛烈な勢いで迫る一頭の影があった。実況すらも見落としかけた「外からライアン!」の叫び。奇跡をあと一歩まで追い詰めたその走りは、敗れてなお、彼が時代の主役であることを証明した。

1着 オグリキャップ 2着 メジロライアン
03
Takarazuka Kinen
1-1
1991.06.09 / 京都 2200m

THE GLORY

第32回 宝塚記念

宿敵メジロマックイーンを前に、横山典弘が選んだのは「心中」の先行策だった。3コーナーから一気に先頭へ。直線、外から迫る王者を力強く突き放し、悲願のG1初制覇。若き武者と愛馬が、ついに時代の頂点を射抜いた瞬間。

TIME
2:13.6
MARGIN
1 1/2
04
Nikkei Sho
1
1992.03.22 / 中山 2500m

LAST DANCE

第40回 日経賞

屈腱炎からの復活を賭けた春、重馬場を厭わず力強く駆け抜け、後続に完勝を収める。これが天才の、そして愛すべきアイドルの最後の雄姿となった。怪我に泣きながらも、ターフで見せた最後の煌めきは、今もファンの胸に刻まれている。

1着 メジロライアン 2着 カリブソング
DATA ANALYTICS

重馬場を切り裂く
驚異のパワー

1990年の京都新聞杯。ぬかるんだ重馬場という極限状態の中、彼は従来のコースレコードを塗り替える2分12秒3を叩き出した。父アンバーシャダイから受け継いだ無尽蔵のスタミナと、泥を跳ね飛ばす豪脚。時計の出にくい悪条件でこそ輝くその底力こそ、メジロライアンという馬の本質であった。

2:12.3

COURSE RECORD

2200m 走走走破時計

※1990 京都新聞杯(重)

POWER PERFORMANCE

重馬場への適性値
AVERAGE TIME2:14.2
STARDARD
RYAN RECORD (HEAVY)2:12.3
POWERFUL DRIVE
TIME GAP-1.9s
HIGH ADAPTABILITY
馬場適性による優位性
RYAN
どんなに負けても、
僕の馬が一番強いと信じていた。
主戦騎手 横山典弘
宝塚記念 勝利後インタビュー
ノリ(横山)とライアンで
勝つことに意味があった。
調教師 奥平真治
管理馬の功績を振り返って
FAN VOICES

愛されしヒーロー

H

いつもあと一歩で勝てなくて、でも応援せずにはいられない。宝塚記念でマックイーンを競り落とした時、競馬場全体が震えるような歓喜に包まれたのを覚えています。

Y

端正な顔立ちと、一生懸命走る姿。当時の女の子たちはみんなライアンに恋をしていました。オグリの引退レースで2着だったけど、私の中ではライアンが1着でした。

M

引退後も会いに行くと優しく迎えてくれました。メジロの血を繋ぎ、多くの名馬を送り出した。29歳まで長生きしてくれてありがとう。お疲れ様、ライアン。

BEHIND THE SCENES

アイドルの素顔

最強の刺客であり、最高に愛された馬の逸話

01

判官贔屓のシンボル

実力はありながら勝負所で届かない。そんな「不器用な天才」の姿が当時のファンの母性本能を刺激した。グッズの売り上げやファンレターの数は、G1をいくつも勝つ名馬たちを圧倒し、競馬場には黄色い声援が飛び交った。彼は単なる競走馬を超えた「アイドル」だったのである。

02

馬体という名の勲章

ライアンは500キロを超える雄大な馬体の持ち主だったが、特にお腹がふっくらして見える「ボテ腹」が特徴的だった。一見すると太め残りに見えるその姿は、実は筋肉の塊であり、そこから繰り出される力強い末脚の源泉となっていた。その独特のフォルムも、ファンに愛される魅力の一つだった。

Mejiro McQueen
THE ARCHRIVAL
DESTINY

MEJIRO MCQUEEN

メジロマックイーン

同じ「メジロ」の冠を戴き、同じ年に生まれた最強の二人。しかし、その歩みは対照的だった。

エリートの道を突き進むマックイーンに対し、泥臭く惜敗を繰り返しながら追い縋ったライアン。菊花賞、天皇賞。立ちはだかる王者の壁は高く、厚かった。

1991年、宝塚記念。ライアンがマックイーンをねじ伏せたあの2分13秒6こそ、二頭が織りなした物語の、最高に熱いクライマックスだった。

1991TAKARAZUKA KINEN
1stメジロライアン
vs
2ndメジロマックイーン

魂を揺さぶる鹿毛の咆哮

魂を揺さぶる鹿毛の咆哮

「善戦マン」という言葉がある。勝てそうで勝てない、いつも誰かの引き立て役に甘んじる馬。しかし、メジロライアンに向けられた視線は、決してそのような冷ややかなものではなかった。 1990年代初頭。日本が熱狂に包まれた第二次競馬ブームの真っ只中、彼は敗れるたびに愛され、挑むたびに誰かの希望となった。

青春の影、届かぬ1馬身

若き横山典弘と共に歩んだクラシック。皐月賞3着、ダービー2着、菊花賞3着。掲示板を外さない実力がありながら、あと一歩が、果てしなく遠かった。アイネスフウジンの逃げに涙し、同門のメジロマックイーンの影に泣いた。 それでも、主戦の横山は言い続けた。「僕の馬が一番強い」。その言葉は、批判を浴びる若手騎手の強がりではなく、毎日誰よりも近くでライアンに触れ、その背中で震える魂の鼓動を感じていた者だけが確信できる、究極の真実だった。

一世一代の、賭け

1991年、宝塚記念。ライアンはもう「強いだけの馬」で終わるわけにはいかなかった。ファンが、陣営が、そして何より横山自身が、彼の首にG1のメダルを掛けることを切望していた。 選んだのは、これまでの後方待機を捨てる奇襲。マックイーンより先に動き、マックイーンを置き去りにする。 「こいつと心中しよう」。そう覚悟を決めた横山の手綱に応え、ライアンは坂を駆け下りた。直線、必死に追いすがる宿敵を突き放した時、そこにいたのは「未完の大器」ではなく、正真正銘の「王」だった。

未来へ繋ぐ、メジロの誇り

屈腱炎により、その競走生活は突如として幕を閉じた。しかし、彼の物語はそこで終わらなかった。 種牡馬となったライアンは、初年度からメジロブライト、メジロドーベルというG1馬を世に送り出す。自らが届かなかった春の天皇賞、自らが勝てなかったクラシック。その夢を子供たちが叶えていく姿は、かつて彼を熱烈に愛したファンへの、最高の恩返しだった。

「ライアンは、僕をジョッキーとして育ててくれた、かけがえのない存在です。」
――横山典弘

2016年。29歳で天に召された時、彼は日本中から愛された記憶を抱いて旅立った。 もし、完璧に勝ち続ける馬だけが名馬だとしたら、ライアンはそこには含まれないかもしれない。 だが、負けても負けても前を向き、泥だらけになって勝利を掴み取ったその姿こそ、私たちの人生そのものではないか。 記録よりも深く、記憶の底で今もなお輝き続ける鹿毛の英雄。メジロライアンという名は、永遠に色褪せることはない。