型にはまらない。常識に縛られない。マヤノトップガンという馬を表現するなら、そんな言葉がふさわしいだろう。 逃げてGIを勝ち、先行してレコードを出し、最後は追い込んで世界記録を作る。 変幻自在の脚質は、まさに空を自由に飛び回る戦闘機「トップガン」そのものだった。
遅れてきた異才
デビュー当初はダートを使われ、脚元の不安から思うような調整もできなかった。 しかし、芝に転向するとその才能が一気に開花する。 秋の菊花賞でレコード勝ちを収めると、続く有馬記念では古馬を相手に堂々の逃げ切り勝ち。 震災の年に現れた新星は、被災地・神戸の馬主、そして多くのファンにとって、復興への希望の光となった。 投げキッスをする派手なジョッキー田原成貴と、栗毛の馬体。そのコンビは瞬く間に時代の寵児となった。
悩み、そして悟りへ
翌年は苦悩の年となった。ナリタブライアンとの死闘に敗れ、調整ミスで大敗も喫した。 「先行して押し切る」という勝ちパターンを覚えれば覚えるほど、彼は走る楽しみを見失っていったのかもしれない。 迎えた1997年、天皇賞・春。 田原騎手は決断する。「位置取りなど考えない。彼のリズムで走らせる」と。 それは、これまでの勝利の方程式をすべて捨てる、危険な賭けだった。
伝説のラストフライト
レースはサクラローレルとマーベラスサンデーのマッチレースになるかと思われた。 しかし、大外から一頭、オレンジ色の帽子が飛んできた。 最後方からすべてを抜き去る、鬼のような末脚。 3分14秒4。常識を2秒以上も置き去りにしたそのタイムは、彼が「型」から解き放たれ、真の自由を手に入れた証だった。 ゴール後、田原騎手はガッツポーズもせず、ただ静かに馬の首筋を撫でた。 それは、人馬が完全に一体となった瞬間の、静謐な美しさだった。
「あれは作戦じゃない。彼がそう走りたかったから、そう走ったんだ」
――田原成貴
その後、屈腱炎によりターフを去ったマヤノトップガン。 しかし、彼が残した「どんな位置からでも勝てる」という変幻自在の走りは、最強馬の定義に新たな1ページを加えた。 カテゴリーや戦法という枠組みを軽々と飛び越え、空を駆けるように自由に走った栗毛の天才。 その鮮烈な航跡雲は、いつまでもファンの心の中に残っている。



