北海道の小さな牧場で生まれたイナリワン。決してエリートとは呼べない血統、450kgという小柄な体躯。しかし、彼を見つめる男たちの目は確かだった。大井の福永二三雄調教師が「必ず走る」と直感し、馬主の保手浜氏はその澄んだ瞳に惚れ込んだ。地方競馬の砂塵の中で、彼は着実にその「鋼の心臓」を鍛え上げていった。
大井からの挑戦状
地方競馬の最高峰、東京大賞典。3000mの長丁場を圧倒的な力で制したイナリワンは、その場で「中央移籍」を宣言する。それは単なるステップアップではなく、大井の、そして地方競馬全体の誇りを賭けた殴り込みだった。中央入り直後は折り合いに苦しみ、敗北を喫することもあったが、若き武豊との出会いが彼の翼を完全に開かせた。
平成三強、伝説の季節
1989年、彼は歴史の表舞台に踊り出た。天皇賞・春では武豊に初のG1タイトルを捧げる5馬身差の圧勝。宝塚記念も制し、誰もが彼を「最強」と認めざるを得なかった。しかし、秋になるとオグリキャップ、スーパークリークという巨大な壁が立ちはだかる。毎日王冠での鼻差の敗北、天皇賞・秋での失速。いつしか世間は「2強」の対決に熱狂し、イナリワンの名は脇へと追いやられていった。
意地の有馬記念
迎えた1989年、中山。ファンの視線はオグリとクリークに注がれ、イナリワンは4番人気。しかし、柴田政人騎手と彼の心に灯った火は消えていなかった。「2強の争い?意地を見せてやろう」。直線、ハイペースの中で脱落していくライバルを尻目に、彼は内側から、一完歩ごとに、執念でスーパークリークを追い詰めた。写真判定の末に掲げられた「4」の数字。ハナ差の逆転劇。それは、一度は忘れ去られようとした天才の、凄まじい逆襲だった。
「いつの間にか3強から脱落したと言われていた。意地を見せてやろうと思った。強い馬です」
――柴田政人
地方から現れ、中央の頂点へ。年度代表馬にまで登り詰めたその軌跡は、まさに競馬版のシンデレラストーリーそのものである。小柄な体に宿した巨大なエンジンと、何者にも屈しない鋼の心臓。イナリワンがターフに残した疾風の如き記憶は、今もなお、競馬ファンの胸を熱く焦がし続けている。




