競馬の歴史は、時に残酷で、時に美しい。1970年代後半、日本中を熱狂させた「TTG」の物語において、グリーングラスは常に「三番手の男」と見なされてきた。天馬トウショウボーイ、貴公子テンポイント。そのあまりに華やかな二頭の輝きに、漆黒の馬体を持つ彼は、影のように寄り添い続けた。
12番人気の衝撃と「野武士」の誕生
彼が歴史の表舞台に躍り出たのは、1976年の菊花賞だった。獲得賞金不足で出走すら危ぶまれた、12番人気の伏兵。しかし、最内を強襲し二強を抜き去った瞬間に、人々の評価は一変した。エリートでもなく、華美でもない。泥臭く、しかし決して折れないその走りに、ファンは最大級の敬意を込めて「野武士」という名を贈ったのである。
三度目の正直、そして孤独な闘い
しかし、栄光の影には常に苦難があった。古馬となってからのグリーングラスは、重度の脚部不安に悩まされ続ける。それでも彼は休まなかった。三度目の挑戦となった1978年の天皇賞・春。「緑の街道を突っ走りました!」という杉本アナの絶叫と共に、彼はついに盾を掴む。その直後、ライバルたちは次々とターフを去った。一人は志半ばで命を落とし、一人は華々しく種牡馬入りした。残されたのは、満身創痍の野武士だけだった。
有終の美、ハナ差の記憶
1979年、冬。引退レースとして迎えた有馬記念。もはやかつてのライバルは誰もいない。しかし、彼は自らの誇りのために走った。3コーナーからのロングスパート。粘り、耐え、メジロファントムの猛追をハナ差で凌ぎ切ったゴール板。それは、TTG時代の最後を見事に締めくくる、あまりにも完璧なカーテンコールだった。
「菊花賞を勝てたのは天の恵み。こいつらにゃ、とても敵わない。負け犬じゃない。馬が、馬を認めたんだ」
――一人のファンが遺した言葉
通算26戦。彼は一度たりとも、その誇りを捨てることはなかった。華やかなライバルたちの陰にいた男が、最後には一番長く走り続け、年度代表馬として物語を完結させた。グリーングラス――その名は、日本競馬の青春が最も美しく、最も激しく燃えた時代の証人として、永遠に語り継がれるだろう。緑の街道を駆け抜けた、孤高の勇者の記憶を、私たちは決して忘れない。





