競馬の歴史において、これほどまでにファンに愛され、同時に翻弄し続けた馬は他にいないだろう。ゴールドシップ。その名は単なる勝利の記録ではなく、破天荒なドラマの代名詞となった。芦毛の美しい馬体とは裏腹に、その内面に秘められたのは、既存のサラブレッドの枠組みを嘲笑うかのような自由奔放な魂だった。
常識を塗り替えた「ワープ」
彼の伝説は、2012年の皐月賞から始まった。前日の雨で田んぼのように荒れた中山競馬場の内路。他の全馬がそれを避けて外へ回る中、彼はあざ笑うかのように泥濘へ飛び込んだ。絶望的な位置から、4コーナーを回った時には先頭に立っている。その姿は「ワープ」としか形容できなかった。勝利への執念と、それを可能にする強靭なスタミナ。人々はこの時、新しい時代の王者の誕生を予感した。
「いちご大福」と称された二面性
しかし、王者の道は平坦ではなかった。圧勝したかと思えば、次走ではまるで走る気を失ったかのように大敗する。1着と5着を繰り返すその気まぐれな成績に、ファンは「いちご大福」という愛称を与えた。それは揶揄ではなく、彼の人間臭さに対する親しみだった。ゲート入りを拒み、120億円もの馬券を一瞬で紙屑に変えたあの大出遅れ。そんな「事件」さえも、彼がターフに残す足跡の一部だった。彼は勝つためだけに走っていたのではない。自分の心に従って走っていたのだ。
今浪厩務員、そして最後の円環
そんな彼が唯一、心を許した人間がいた。厩務員の今浪隆利である。暴君として恐れられたゴールドシップも、今浪の前では一頭の愛らしい馬に戻り、甘える仕草を見せた。人間と馬の垣根を超えた深い絆。その絆があったからこそ、彼は6歳まで第一線で走り続け、古馬G1を4年連続で制するという偉業を達成できたのだ。引退レースの有馬記念。かつての主戦・内田博幸の背中で、彼は物語の幕を下ろした。通算28戦13勝。その数字を超えた感動が、今もなお語り継がれている。
「彼はね、本当に賢い。自分が何者かを知っているんです」
―― 須貝尚介
不沈艦が去った後のターフは、少しだけ静かになった。しかし、彼が残した「競馬は、走るだけではない」という教えは、今もファンの胸に刻まれている。白くなったその体で悠々と牧場を歩く姿は、まるで現役時代の喧騒を懐かしんでいるかのようだ。ゴールドシップ。彼は間違いなく、日本競馬が産んだ最大の、そして最も愛された「奇跡」の一頭だったのである。




