ダイタクヘリオス:笑いながら駆け抜けた快速馬の記憶
Daitaku Helios

The Maverick Daitaku Helios

「人気」なんて関係ない。
彼はただ、彼自身の喜びのために走った。

PROFILE

生誕1987.04.10
調教師梅田康雄 (栗東)
主戦騎手岸滋彦
通算成績35戦10勝 [10-5-2-18]
主な勝鞍 マイルチャンピオンシップ (G1) 2連覇
毎日王冠 (G2) ※当時日本レコード
マイラーズカップ (G2) 2連覇
高松宮杯 (G2)、クリスタルカップ (G3)

PEDIGREE

FATHER
ビゼンニシキ
(日本) 1981
ダンディルート
ベニバナビゼン
×
MOTHER
ネヴァーイチバン
(日本) 1971
ネヴァービート
ミスナンバイチバン

父はシンボリルドルフの宿敵であった快速馬、母はカブラヤオーを親戚に持つ内国産の血筋。 「華麗なる一族」のライバルと比較され、時に「雑草」と称されながらも、その圧倒的なスピードと金属疲労を知らぬタフさは、まさに内国産の誇りであった。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 35 RUNS 10 - 5 - 2 - 18
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1992.12.27有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m岸滋彦12th
1992.12.20スプリンターズS (G1)中山 / 芝1200m岸滋彦4th
1992.11.22マイルCS (G1)京都 / 芝1600m岸滋彦1st
1992.11.01天皇賞・秋 (G1)東京 / 芝2000m岸滋彦8th
1992.10.11毎日王冠 (G2)東京 / 芝1800m岸滋彦1st
1992.06.14宝塚記念 (G1)阪神 / 芝2200m岸滋彦5th
1992.05.17安田記念 (G1)東京 / 芝1600m岸滋彦6th
1992.04.25京王杯スプリングC (G2)東京 / 芝1400m岸滋彦4th
1992.03.01マイラーズC (G2)阪神 / 芝1600m岸滋彦1st
1991.12.22有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m岸滋彦5th
1991.11.17マイルCS (G1)京都 / 芝1600m岸滋彦1st
1991.10.26スワンS (G2)京都 / 芝1400m岸滋彦9th
1991.10.06毎日王冠 (G2)東京 / 芝1800m岸滋彦2nd
1991.07.07高松宮杯 (G2)中京 / 芝2000m加用正1st
1991.05.12安田記念 (G1)東京 / 芝1600m岸滋彦2nd
1991.04.21京王杯スプリングC (G2)東京 / 芝1400m岸滋彦6th
1991.03.17ダービー卿CT (G3)中山 / 芝1600m岸滋彦4th
1991.02.24マイラーズC (G2)中京 / 芝1700m武豊1st
1991.02.03淀短距離S (OP)京都 / 芝1200m岸滋彦4th
1990.12.16スプリンターズS (G1)中山 / 芝1200m岸滋彦5th
1990.12.02シリウスS (OP)中京 / 芝1200m岸滋彦4th
1990.11.18マイルCS (G1)京都 / 芝1600m岸滋彦17th
1990.06.03ニュージーランドT (G2)東京 / 芝1600m岸滋彦2nd
1990.05.13葵S (OP)京都 / 芝1400m岸滋彦1st
1990.04.14クリスタルC (G3)中山 / 芝1200m岸滋彦1st
1990.03.25スプリングS (G2)中山 / 芝1800m岸滋彦11th
1990.02.11きさらぎ賞 (G3)中京 / 芝2000m岸滋彦6th
1990.01.14シンザン記念 (G3)京都 / 芝1600m岸滋彦2nd
1989.12.17阪神3歳S (G1)阪神 / 芝1600m武豊2nd
1989.12.09さざんか賞 (400万下)阪神 / 芝1400m岸滋彦1st
1989.11.11デイリー杯3歳S (G2)京都 / 芝1400m岸滋彦4th
1989.10.293歳新馬京都 / 芝1200m岸滋彦1st
1989.10.153歳新馬京都 / 芝1200m岸滋彦2nd
1989.10.073歳新馬京都 / 芝1400m岸滋彦3rd
CAREER HIGHLIGHTS

笑う門には福来たる

01
Mile Championship 1991
2-3
1991.11.17 / 京都 1600m

FIRST GLORY

第8回 マイルチャンピオンシップ

1番人気。岸騎手とのコンビで勝てないと言われ続けた不遇の時代。 それを嘲笑うかのように、彼は直線で力強く抜け出した。 ライバル・ダイイチルビーの追撃を完封し、悲願のG1初制覇。 主戦・岸滋彦の目には、込み上げる涙があった。

TIME
1:34.8
MARGIN
2 1/2
02
Mainichi Okan 1992
1
1992.10.11 / 東京 1800m

RECORD BREAKER

第43回 毎日王冠

府中のターフで炸裂した、驚愕のスピード。 並み居る強豪を相手に逃げの手に出ると、そのまま後続に影も踏ませない。 叩き出した1分45秒6は、当時の日本レコードを0.4秒更新。 「狂気のマイラー」が中距離でもその絶対的な資質を見せつけた。

1着 ダイタクヘリオス 2着 イクノディクタス
03
Mile Championship 1992
2-4
1992.11.22 / 京都 1600m

REPEAT SUCCESS

第9回 マイルチャンピオンシップ

史上2頭目となる連覇への挑戦。 天皇賞・秋での敗戦から、再び得意のマイル戦で見せた王者の風格。 シンコウラブリイの猛追を振り切り、京都の坂を「笑いながら」駆け抜けた。 そのタイム1分33秒3は当時のコースレコードであり、マイル王としての地位を不動のものとした。

TIME
1:33.3
HISTORY
2-PEAT
04
Arima Kinen 1992
12
1992.12.27 / 中山 2500m

THE LAST BLAST

第37回 有馬記念

引退レースとなったグランプリ。 盟友メジロパーマーと共に作り上げた、伝説の「爆逃げ」。 2500mという距離すら無視したかのような、あまりにも無謀で、あまりにも爽快な一人旅。 結果は12着。しかし、その玉砕覚悟の走りは、誰よりもファンの心に深く刻まれた。

逃げコンビ:メジロパーマー & ヘリオス
DATA ANALYTICS

常識を打ち破る
高速の逃走劇

1992年の毎日王冠。彼は中距離の強豪を相手に、淀みのないハイペースで逃げ切った。叩き出したタイムは1分45秒6。あのサクラユタカオーが保持していた日本レコードを0.4秒も更新する驚愕の数字だった。マイルだけでなく2000m級でも世界レベルのスピードを維持できるその心肺能力は、当時の日本競馬界において突出した異能であった。

1:45.6

JAPAN RECORD

1800m 走破時計

※1992 毎日王冠(当時)

RECORD BREAKING

府中の空気を切り裂いた記録
PREVIOUS RECORD (1986)1:46.0
S.YUTAKA O
DAITAKU HELIOS (1992)1:45.6
NEW FRONTIER
TIME DIFFERENCE-0.4s
SPEED MASTER
タイム短縮幅
HELIOS
胸にこみあげてくるものがあった。
泣きそうなくらいでした。
主戦騎手 岸滋彦
1991年マイルCS勝利後
アイツのことはようわからん。
実際のところ私もようわからんのよ。
調教師 梅田康雄
インタビューにて
FAN VOICES

ファンからの声

H

1番人気のヘリオスが勝つなんて。いつもは人気がない時に限って激走するのに、この日は本当に強かった。マイル連覇は本物の証明ですね。

S

毎日王冠のレコード勝ちは忘れられません。口を割って、本当に笑っているような顔で突き進む姿。理屈抜きに愛せる、最高の個性派でした。

U

ゲームで知ったけど、史実を調べてさらに好きになりました。どんな時も自分のスタイルで爆逃げする明るいヘリオスに勇気をもらっています!

BEHIND THE SCENES

秘蔵エピソード

「新聞が読める馬」と呼ばれた男の、愛すべき素顔

01

オッズを読むマイル王

ダイタクヘリオスには「新聞が読める」という都市伝説があった。1番人気の期待を背負うと何故か惨敗し、人気が落ちてファンが諦めかけた瞬間に信じられない激走を見せる。オッズを見て走る気を変えているのではないか、とファンに言わせるほどの気まぐれさが、彼の最大の魅力だった。

02

横着すぎる食事風景

種牡馬時代の彼は、現役の狂気が嘘のように温厚だった。放牧地では、なんと寝転んだまま首だけを動かして青草を食べるという、あまりにも横着で愛らしい姿が目撃されている。泥まみれになっても気にせず、悠々と昼寝を楽しむ姿は、まさに「ロマンスグレーの隠居生活」そのものだった。

Daiichi Ruby
THE ARCHRIVAL
DESTINY

DAIICHI RUBY

ダイイチルビー

「華麗なる一族」の令嬢と、地味な血統から這い上がった「笑う雑草」。1991年のマイル路線は、この対照的な二頭の運命的な交差によって彩られた。

お嬢様ルビーが鮮やかに差し切れば、次走ではヘリオスが意地の逃げ切りでリベンジを果たす。互いに一歩も譲らない死闘は、ファンから「恋人同士」と冷やかされるほど頻繁に、そして熱く繰り返された。

血統の壁をスピードで塗り替えたヘリオスにとって、彼女は己の存在価値を証明するために最も必要な、最高のヒロインだった。

1991高松宮杯
1stダイタクヘリオス
vs
2ndダイイチルビー

風と笑った快速王

風と笑った快速王

競馬の歴史において、これほどまでに「予測不能」という言葉が似合う馬はいなかった。ダイタクヘリオス。その名は、太陽神の如き輝きと、制御不能な旋風を同時に連想させる。彼は単なるマイル王ではなかった。ファンの期待を裏切り、嘲笑い、そして誰にも真似できない輝きで最後には全てを黙らせる。そんな稀代のエンターテイナーだった。

岸滋彦と歩んだ、孤独な闘争

父ビゼンニシキがシンボリルドルフの影に泣いたように、ヘリオスもまた、当初はその真価を認められていなかった。若き岸滋彦騎手とのコンビは、時に「勝てないコンビ」と揶揄された。人気を集めては沈み、批判の矢面に立つ日々。しかし、陣営は彼を信じ続けた。1991年のマイルチャンピオンシップ、直線でライバルたちを突き放し、岸の腕の中で彼が初めてG1の壁を突き破った瞬間、その批判は一瞬にして熱狂的な賛辞へと変わった。泥臭く、不器用で、しかし誰よりも速い。その姿に、人々は自らの人生を重ね合わせたのだ。

「笑いながら走る」という伝説

彼の走法は独特だった。高い頭、割れた口、そしてハミを越えて出される舌。まるで苦しさを笑い飛ばしているかのようなその表情は、見る者に強烈な印象を残した。専門家が「欠陥」と呼んだその癖こそが、彼の真面目すぎるほどの闘争心の現れだったのだ。「前に行かなければならない」という本能。その一念だけで、彼はマイルの絶対王者へと登り詰めた。ダイイチルビーという最高のライバルとの戦いの中で、彼は「雑草」というレッテルを「個性」という名の勲章に書き換えたのである。

爆逃げの果てに見えた景色

1992年の有馬記念。それは、彼がファンに贈った最後の、そして最大のプレゼントだった。盟友メジロパーマーと共に、2500mという距離を完全に無視してターフを爆走したあの一人旅。勝算などなかったかもしれない。しかし、あの時の中山競馬場には、確かに「競馬の楽しさ」が充満していた。結果は12着。だが、ゴール後に彼が向けた、いつも通りの「笑顔」こそが、ダイタクヘリオスという物語の完璧な結末だった。

「最後はもう歩く寸前。でも、ヘリオスは最後までヘリオスでした」
――岸滋彦

彼は死後もなお、語り継がれる。人気に左右されず、自分の信じた速さだけで駆け抜けたその蹄音を。私たちは忘れないだろう。冬の陽光の下、京都の坂を笑いながら駆け下りてきた、あの美しくも騒がしいマイル王の姿を。ダイタクヘリオス。彼は今も、天上の牧場でゴロンと寝転びながら、私たちの予想が外れるのを笑って眺めているに違いない。