ビワハヤヒデ:芦毛の怪物、勝利の方程式
Biwa Hayahide

The Formula Biwa Hayahide

「涼しい顔」で駆け抜けた、
絶対的安定感の証明。

PROFILE

生誕1990.03.10
調教師浜田光正 (栗東)
主戦騎手岡部幸雄
通算成績16戦10勝 [10-5-0-1]
主な勝鞍宝塚記念 (G1)
天皇賞・春 (G1)
菊花賞 (G1)
京都記念 (G2)、オールカマー (G3)

PEDIGREE

FATHER
シャルード
(USA) 1983
Caro
Angelaseer
×
MOTHER
パシフィカス
(USA) 1981
Northern Dancer
Precipitating

父はグレイソヴリン系のスピードを、母は世界を席巻したノーザンダンサーのスタミナを継承。日本競馬の常識を覆したこの血統は、後に三冠馬ナリタブライアンを輩出し、世界レベルの「母系」として歴史に刻まれた。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 16 RUNS 10 - 5 - 0 - 1
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1994.10.30天皇賞・秋 (G1)東京 / 芝2000m岡部幸雄5th
1994.09.18オールカマー (G3)中山 / 芝2200m岡部幸雄1st
1994.06.12宝塚記念 (G1)阪神 / 芝2200m岡部幸雄1st
1994.04.24天皇賞・春 (G1)阪神 / 芝3200m岡部幸雄1st
1994.02.13京都記念 (G2)阪神 / 芝2200m岡部幸雄1st
1993.12.26有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m岡部幸雄2nd
1993.11.07菊花賞 (G1)京都 / 芝3000m岡部幸雄1st
1993.09.26神戸新聞杯 (G2)阪神 / 芝2000m岡部幸雄1st
1993.05.30日本ダービー (G1)東京 / 芝2400m岡部幸雄2nd
1993.04.18皐月賞 (G1)中山 / 芝2000m岡部幸雄2nd
1993.03.20若葉ステークス中山 / 芝2000m岡部幸雄1st
1993.02.14共同通信杯4歳S (G3)東京 / 芝1800m岸滋彦2nd
1992.12.13朝日杯3歳S (G1)中山 / 芝1600m岸滋彦2nd
1992.11.07デイリー杯3歳S (G2)京都 / 芝1400m岸滋彦1st
1992.10.10もみじステークス京都 / 芝1600m岸滋彦1st
1992.09.133歳新馬阪神 / 芝1600m岸滋彦1st
CAREER HIGHLIGHTS

勝利の方程式

01
Kikuka Sho
8-18
1993.11.07 / 京都 3000m

THE EMANCIPATION

第54回 菊花賞

皐月賞、ダービーと共にクビ差、半馬身差の2着。春の「善戦ホース」という評価を、彼は淀の坂で粉砕した。直線、持ったままの手応えで抜け出すと、後続を5馬身突き放す圧勝劇。当時のレコードを塗り替え、芦毛の怪物が真の王座へと登り詰めた瞬間だった。

TIME
3:04.7
MARGIN
5 lengths
02
Arima Kinen
13
1993.12.26 / 中山 2500m

LEGENDARY DUEL

第38回 有馬記念

菊花賞を制し、現役最強を証明すべく挑んだグランプリ。直線、完璧な横綱相撲で先頭に立った彼の外から、1年ぶりの奇跡を追うトウカイテイオーが強襲する。歴史に残る叩き合いの末、惜敗。しかし、この一戦が彼をさらなる高み、完全無欠の古馬王者へと進化させた。

1着 トウカイテイオー2着 ビワハヤヒデ
03
Tenno Sho Spring
7-7
1994.04.24 / 阪神 3200m

THE ABSOLUTE

第109回 天皇賞(春)

「兄貴も強い!」実況が響き渡る中、3200mの長丁場を機械のような正確さで駆け抜けた。スタミナの限界を問われる舞台で、岡部騎手の手綱に応え、正攻法の競馬で他を圧倒。後に三冠を成し遂げる弟ナリタブライアンに先んじて、盾の栄誉をその手に抱いた。

DISTANCE
3200m
RESULT
WIN
04
Takarazuka Kinen
13
1994.06.12 / 阪神 2200m

PERFECT COOL

第35回 宝塚記念

まさに独演会だった。2着アイルトンシンボリに5馬身の差をつけ、2分11秒2という当時の日本レコードを計時。全力で走っているはずなのに、どこか余裕さえ感じさせるその姿を、人々は「涼しい顔」と呼んだ。現役最強の座を不動のものとした、生涯最高のパフォーマンス。

1着 ビワハヤヒデ2着 アイルトンシンボリ
DATA ANALYTICS

驚異の
連続連対記録

ビワハヤヒデの凄みは、単なる速さだけではない。デビューから引退直前のレースまで続いた15戦連続連対という驚異的な安定感にある。これはシンザンに次ぐ史上2位の記録であり、どんな展開、馬場、距離であっても決して崩れない、精神と肉体の強靭さを証明している。

93.7%

STABILITY RATE

生涯連対率

※16戦中15回が2着以内

RECORD BREAKING

宝塚記念 走破時計の進化
1991 RECORD (MEJIRO RYAN)2:13.6
PAST BEST
BIWA HAYAHIDE (1994)2:11.2
NEW RECORD
TIME DIFFERENCE-2.4s
HUGE GAP
従来のレコードを2.4秒短縮
HAYAHIDE
非常に乗りやすく、イメージ通りの馬。
ハヤヒデは負けても強い馬だった。
主戦騎手 岡部幸雄
インタビューより
この過酷な夏場のトレーニングを
耐え抜いたからこそ、今の彼がある。
調教師 浜田光正
菊花賞制覇後のコメント
FAN VOICES

ファンからの声

B

オグリキャップとはまた違う、知的な美しさを持った芦毛でした。宝塚記念のあの「涼しい顔」での圧勝は、言葉を失うほどに完璧でした。

W

菊花賞の直線、白い馬体がグングン伸びてくる姿。春の無念を全て吹き飛ばすようなあの加速は、今でも京都競馬場に行くたびに思い出します。

S

BNWの3頭が競い合ったあの熱い時代。ビワハヤヒデはその中心にいた。30歳まで長生きしてくれてありがとう。お疲れ様でした。

BEHIND THE SCENES

秘蔵エピソード

知性派と呼ばれた名馬が隠し持っていた、人間味あふれる素顔

01

「顔がでかい」愛されキャラ

杉本清アナウンサーが実況で触れ、ファンの間でも定番となった「顔がでかい」というネタ。実はこれ、身体が大きいため相対的にそう見えた面もあるが、覆面を外すと非常に整った「素顔」の持ち主だった。本人は気にする素振りも見せず、どっしりと構えていたという。

02

女性ファンにはジェントルマン

厩舎スタッフの間では、彼が「人を見分ける」ことは有名だった。特に女性ファンには非常に優しく、穏やかに接する一方で、男性が近づくと噛みつきに行くような気性の激しさを見せることもあった。賢さと愛嬌を兼ね備えた、まさに「芦毛の貴公子」だった。

Winning Ticket
THE ETERNAL RIVAL
DESTINY

WINNING TICKET

ウイニングチケット

1993年、クラシック戦線を熱狂させた「BNW」の一角。漆黒の馬体と鋭い末脚を持つウイニングチケットは、正攻法のビワハヤヒデにとって最大の壁だった。

日本ダービーでの叩き合い。柴田政人騎手の悲願を背負ったチケットの執念に、ハヤヒデはわずか半馬身及ばなかった。この敗北があったからこそ、秋の菊花賞での「5馬身差の復讐」が生まれたのである。

互いの個性をぶつけ合い、三冠を分け合った彼らの絆は、日本競馬の最も美しい1ページとして今も語り継がれている。

1993東京優駿
2ndビワハヤヒデ
vs
1stウイニングチケット

黄金の盾を抱いた、芦毛の賢者

黄金の盾を抱いた、芦毛の賢者

平成の初期、日本競馬が空前の熱狂に包まれていた時代。ターフには一頭の、どこか浮世離れした美しさを持つ芦毛の馬がいた。ビワハヤヒデ。その名は、単なる勝利の記録以上に、絶対的な信頼と「勝利の方程式」という名の美学と共に記憶されている。

「最強の次男」が歩んだ、逆襲の道

福島で生まれ、検疫の都合で予定外の地で生を受けた。そんな数奇な運命を背負った彼は、デビューから非凡な才能を見せつけた。しかし、クラシックの春、彼は「あと一歩」に泣いた。皐月賞、日本ダービー。共に完璧な立ち回りを見せながら、最後の一押しに屈し、2着。人々は彼を「善戦ホース」と呼び、華やかなライバルたちの陰に置こうとした。だが、彼は、そして陣営は諦めなかった。夏、猛暑の栗東に残り、ミホノブルボンを彷彿とさせる坂路での猛特訓。その過酷な日々が、ただの天才を「怪物」へと変えた。

淀の坂で見た、真実の姿

秋、菊花賞。彼はもう、春の彼ではなかった。直線入り口、後続を引き離すその足取りは、力強さと気品に満ち溢れていた。5馬身。その圧倒的な差は、彼が歩んできた努力の証明だった。そこから始まった快進撃は、もはや誰も止めることができなかった。天皇賞(春)での盾の奪取、そして宝塚記念での日本レコード。実況が叫んだ「涼しい顔」という言葉は、彼が到達した、他を寄せ付けない領域を表す最高の賛辞となった。

届かなかった、兄弟の約束

彼の物語を語る上で欠かせないのが、三冠馬ナリタブライアンの存在だ。史上最強の兄弟。ファンは、誰もが有馬記念での「兄弟対決」を夢見た。兄ハヤヒデの安定感か、弟ブライアンの爆発力か。しかし、運命は非情だった。1994年、天皇賞(秋)。先頭でゴールを駆け抜けるはずだった彼は、故障を発生し5着に沈む。それが、彼がターフで見せた最後の姿となった。引退。あまりにも突然の幕切れに、日本中が涙した。兄弟の絆は種牡馬として、そして歴史の語り草として引き継がれることとなった。

「彼は全てを理解していた。自分の役割も、走り方も。あんなに賢い馬には二度と出会えないだろう」
――岡部幸雄

2020年、30歳で天寿を全うした彼は、今も北の大地で静かに眠っている。16戦10勝、15戦連続連対。数字に刻まれたその安定感は、彼がいかに真面目に、いかに誇り高く走り続けたかの証左である。かつて、淀や阪神の空に、真っ白な馬体が閃光のように走り抜けた。その「涼しい顔」をした賢者の記憶は、競馬を愛する者たちの心の中で、永遠に色褪せることはない。