ナリタタイシン:静寂を切り裂く「剃刀」の閃光
Narita Taishin

The RazorNarita Taishin

「届かない」という常識を、
その一瞬で置き去りにした。

PROFILE

生誕1990.06.10
調教師大久保正陽 (栗東)
主戦騎手武豊 / 清水英次
通算成績15戦4勝 [4-6-1-4]
主な勝鞍皐月賞 (G1)
目黒記念 (G2)
ラジオたんぱ杯3歳S (G3)
天皇賞・春 (G1) 2着、日本ダービー (G1) 3着

PEDIGREE

FATHER
リヴリア
(USA) 1982
Riverman
Dahlia
×
MOTHER
タイシンリリィ
(JPN) 1981
ラディガ
ヒカリリリイ

父は英年度代表馬ダリアを母に持つ超良血、母系も由緒ある血統。6月生まれという遅生まれと420kg台の華奢な馬体は、育成期には不安視された。しかし、その内側に秘められた爆発的な瞬発力は、まさに世界の血がもたらした「究極の武器」であった。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 15 RUNS4 - 6 - 1 - 4
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1995.06.04宝塚記念 (G1)京都 / 芝2200m山田泰誠16th
1994.04.24天皇賞・春 (G1)阪神 / 芝3200m武豊2nd
1994.02.20目黒記念 (G2)東京 / 芝2500m武豊1st
1993.11.07菊花賞 (G1)京都 / 芝3000m武豊17th
1993.07.11高松宮杯 (G2)京都 / 芝2000m武豊2nd
1993.05.30日本ダービー (G1)東京 / 芝2400m武豊3rd
1993.04.18皐月賞 (G1)中山 / 芝2000m武豊1st
1993.03.07弥生賞 (G2)中山 / 芝2000m武豊2nd
1993.01.17シンザン記念 (G3)京都 / 芝1600m清水英次2nd
1992.12.26ラジオたんぱ杯3歳S (G3)阪神 / 芝2000m清水英次1st
1992.12.19千両賞 (500万下)阪神 / 芝1600m清水英次2nd
1992.11.21福島3歳S (OP)福島 / 芝1200m清水英次2nd
1992.10.25きんもくせい特別 (500万下)福島 / 芝1700m内山正博6th
1992.10.103歳未勝利福島 / 芝1700m清水英次1st
1992.07.113歳新馬札幌 / 芝1000m横山典弘6th
CAREER HIGHLIGHTS

「剃刀」の真骨頂

01
Satsuki Sho
1-1
1993.04.18 / 中山 2000m

THE FLASH

第53回 皐月賞

1コーナーで最後方。絶望的とも思える位置取りから、武豊騎手は彼を信じて末脚を温存した。直線、前を塞がれる危うい場面もありながら、わずかな隙間を突き抜ける。ビワハヤヒデ、ウイニングチケットという巨頭を、ゴール寸前で豪快に差し切った。まさに「剃刀」の切れ味が日本中に知れ渡った瞬間。

TIME
2:00.2
LAST 3F
34.6
02
Radio Tampa Hai
12
1992.12.26 / 阪神 2000m

FIRST SHARP

ラジオたんぱ杯3歳S

教育係とも言える清水英次騎手が教え込んだ「控える競馬」が結実。4コーナー8番手から、馬群を縫うように突き抜けた重賞初制覇。それまで華奢な体つきで低評価だった彼が、一躍クラシック候補へと躍り出た、運命の始まりとなるレースだった。

1着 ナリタタイシン2着 マルカツオウジャ
DATA ANALYTICS

常識を覆した
「最小」の英雄

ナリタタイシンの最大の特徴は、その小柄な馬体にある。420kg台という華奢な体躯は、力強さが求められるクラシック戦線において致命的な欠点と見なされていた。しかし、彼はその軽さを「武器」へと変えた。極限まで研ぎ澄まされた瞬発力は、重厚なライバルたちが一歩踏み出す間に、二歩、三歩と大地を蹴る圧倒的な回転数(ピッチ)を生み出した。この「最小の身体に宿る最大のエネルギー」こそが、四角最後方からの奇跡を可能にしたのである。

422kg

BODY WEIGHT

重賞制覇時の馬体重

※1992 ラジオたんぱ杯3歳S

WEIGHT COMPARISON

世代の平均馬体重との比較
TYPICAL G1 HORSE480-500kg
STANDARD
RIVAL (BIWA HAYAHIDE)470kg+
POWER TYPE
NARITA TAISHIN422-430kg
ULTRA LIGHT
瞬発力への特化率
TAISHIN
この馬の切れ味は、ちょっと他では味わえない。
一瞬でトップスピードに乗る感覚はまさに「剃刀」だ。
主戦騎手 武豊
皐月賞勝利後の回顧より
あんなに小さくても、
芯の強さはどの馬にも負けていなかった。
調教師 大久保正陽
後年のインタビューにて
FAN VOICES

語り継がれる記憶

S

皐月賞、モニター越しでも分かったあの脚。ビワハヤヒデが勝ったと思った瞬間、外から飛んできた赤い帽子。あれほど興奮したレースは他にありません。タイシンは私の青春でした。

R

肺出血から復帰した目黒記念。58.5kgを背負ってあの切れ味を見せた時、涙が出ました。どれだけ苦境に立たされても、直線で必ず見せてくれる「意地」が大好きでした。

M

30歳まで生きてくれた。BNWの中で最も華奢だった彼が、一番長生きしたことに深い感動を覚えます。彼の走りは、まさに一閃の光のようでした。

BEHIND THE SCENES

小さな名馬の素顔

鋭い切れ味の裏側に隠された、愛すべきエピソード

01

あきらめの中に生まれた命

ナリタタイシンは6月10日という極めて遅い生まれだった。生産牧場では既に今年の出産は終わったと思われていた頃、いつの間にか産まれ、気がつくと立ち上がっていたという。そのあまりの小ささに「本当に競走馬になれるのか」と誰もが首を傾げたが、その静かな誕生こそが、後に嵐を巻き起こす天才のプロローグだった。

02

昼寝が大好きな問題児

レースでは「野獣」のような末脚を見せるタイシンだが、普段は極めてマイペースな性格。調教の合間に人目を気にせずゴロンと寝転んで昼寝を始めたり、厩舎へ勝手に帰ろうとしたりと、関係者を困らせることも多かった。この強烈な個性と「動じない心」が、大舞台での爆発力へと繋がっていたのかもしれない。

Biwa Hayahide
THE GREAT RIVAL
DESTINY

BIWA HAYAHIDE

ビワハヤヒデ

ナリタタイシンを語る上で欠かせないのが、芦毛の怪物ビワハヤヒデだ。堅実無比、常に先頭を走り続けるハヤヒデに対し、最後方から一瞬の輝きに賭けるタイシン。対照的な二頭の激突は、見る者の心を熱くさせた。

1993年皐月賞。完璧な競馬で抜け出したハヤヒデを、タイシンが鼻差で捉えたあの一瞬。そして1994年天皇賞・春、捲り気味に勝負を挑んだタイシンを、力でねじ伏せたハヤヒデ。互いの存在があったからこそ、彼らの物語は伝説となった。

1993SATSUKI SHO
1stナリタタイシン
vs
2ndビワハヤヒデ

時代を射抜いた一閃

時代を射抜いた一閃

1990年代初頭。日本競馬は、ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、そしてナリタタイシンという「BNW」の三強が織りなす激動の時代にあった。その中でナリタタイシンは、常に「逆境」を背負った存在だった。他の馬より数ヶ月遅れて生まれ、牝馬と見紛うほどに華奢な身体。下馬評では常にライバルたちの後塵を拝し、三番手としての評価が定位置だった。

「届かない」を覆す、究極の機能美

しかし、彼はその身体に宿るすべてを、わずか数百メートルの直線に集約させた。中山の短い直線、あるいは阪神の急坂。周囲が「届かない」と確信したその瞬間、彼のエンジンは点火する。武豊の導きにより、馬群のわずかな隙間を「剃刀」のように切り裂いて突き進む姿は、もはや競走という域を超え、一種の芸術的な閃光であった。皐月賞で鼻差差し切ったあの時、彼は「小さき者」が「大きな期待」を打ち砕く快感を、日本中に知らしめたのである。

苦難の向こう側にあった誇り

輝かしい栄光の裏で、彼は体質の弱さとも戦い続けた。菊花賞前の肺出血、そして引退の引き金となった屈腱炎。肉体がその爆発的な精神力に耐えきれなくなるまで、彼は走り続けた。1994年の目黒記念で見せたトップハンデでの勝利は、彼が単なる「展開に恵まれた追い込み馬」ではなく、真に強靭な心肺と意志を持ったアスリートであったことの証明である。

永遠に消えない「剃刀」の航跡

引退後、種牡馬としては恵まれなかったが、彼は30歳という長寿を全うし、静かにこの世を去った。BNWの三頭が駆け抜けたあの眩い季節。最後までその鋭さを失わなかった「最小の皐月賞馬」の物語は、今もなお、ファンの心の中で鮮烈な弧を描き続けている。私たちがターフの直線で一陣の風を感じる時、そこには必ず、静寂を切り裂くナリタタイシンの影が揺れているはずだ。

「彼は、その小ささこそが誇りだった」
――競馬史の傍白

ナリタタイシン。その名は、逆境にあるすべての者へのエールとして、これからも競馬の聖典に刻み続けられるだろう。