平成の初期、日本競馬が空前の熱狂に包まれていた時代。ターフには一頭の、どこか浮世離れした美しさを持つ芦毛の馬がいた。ビワハヤヒデ。その名は、単なる勝利の記録以上に、絶対的な信頼と「勝利の方程式」という名の美学と共に記憶されている。
「最強の次男」が歩んだ、逆襲の道
福島で生まれ、検疫の都合で予定外の地で生を受けた。そんな数奇な運命を背負った彼は、デビューから非凡な才能を見せつけた。しかし、クラシックの春、彼は「あと一歩」に泣いた。皐月賞、日本ダービー。共に完璧な立ち回りを見せながら、最後の一押しに屈し、2着。人々は彼を「善戦ホース」と呼び、華やかなライバルたちの陰に置こうとした。だが、彼は、そして陣営は諦めなかった。夏、猛暑の栗東に残り、ミホノブルボンを彷彿とさせる坂路での猛特訓。その過酷な日々が、ただの天才を「怪物」へと変えた。
淀の坂で見た、真実の姿
秋、菊花賞。彼はもう、春の彼ではなかった。直線入り口、後続を引き離すその足取りは、力強さと気品に満ち溢れていた。5馬身。その圧倒的な差は、彼が歩んできた努力の証明だった。そこから始まった快進撃は、もはや誰も止めることができなかった。天皇賞(春)での盾の奪取、そして宝塚記念での日本レコード。実況が叫んだ「涼しい顔」という言葉は、彼が到達した、他を寄せ付けない領域を表す最高の賛辞となった。
届かなかった、兄弟の約束
彼の物語を語る上で欠かせないのが、三冠馬ナリタブライアンの存在だ。史上最強の兄弟。ファンは、誰もが有馬記念での「兄弟対決」を夢見た。兄ハヤヒデの安定感か、弟ブライアンの爆発力か。しかし、運命は非情だった。1994年、天皇賞(秋)。先頭でゴールを駆け抜けるはずだった彼は、故障を発生し5着に沈む。それが、彼がターフで見せた最後の姿となった。引退。あまりにも突然の幕切れに、日本中が涙した。兄弟の絆は種牡馬として、そして歴史の語り草として引き継がれることとなった。
「彼は全てを理解していた。自分の役割も、走り方も。あんなに賢い馬には二度と出会えないだろう」
――岡部幸雄
2020年、30歳で天寿を全うした彼は、今も北の大地で静かに眠っている。16戦10勝、15戦連続連対。数字に刻まれたその安定感は、彼がいかに真面目に、いかに誇り高く走り続けたかの証左である。かつて、淀や阪神の空に、真っ白な馬体が閃光のように走り抜けた。その「涼しい顔」をした賢者の記憶は、競馬を愛する者たちの心の中で、永遠に色褪せることはない。




