かつて日本競馬が、まだスタミナと忍耐のゲームだった頃。突如として現れた一頭の鹿毛馬が、その価値観を根底から覆した。トウショウボーイ。その走りは、それまでの「競走」という言葉の枠組みを逸脱し、まるで重力から解き放たれたかのような軽やかさを湛えていた。彼こそが、日本競馬に「スピード」という名の革命をもたらした先駆者だった。
魔法使いの息子
父テスコボーイ。その名の通り「魔法」のようなスピードを伝える種牡馬の最高傑作として、トウショウボーイは生を受けた。デビュー戦で見せた、他馬を子供扱いするような加速。それは、単なる素質の片鱗ではなく、新時代の幕開けを告げる咆哮だった。皐月賞、神戸新聞杯。彼が刻むレコードタイムは、当時の常識では計り知れない「未来の数字」だった。
TTGの狂騒曲
彼を語る上で欠かせないのが、テンポイント、グリーングラスと共に歩んだ「TTG」の時代だ。特にテンポイントとの対決は、単なる勝敗を超えたロマンティシズムを競馬ファンに与えた。天馬の「剛」と、貴公子の「柔」。ぶつかり合うたびに火花を散らす両雄の姿は、昭和の競馬シーンを最も眩しく彩った。1977年有馬記念。引退を控えた彼は、宿敵に自らの背中を追い越させ、伝説のバトンを託したのである。
繋がれる天馬の血
現役引退後も、彼の伝説は終わらなかった。内国産種牡馬が不遇を囲う中、彼はミスターシービーという三冠馬を送り出し、さらには自らの仔を売って牧場の借金を返す「お助けボーイ」として馬産地を支え続けた。走って、愛されて、そして次代を救う。その生き様こそが、彼が「天馬」として神格化される所以である。
「彼は私の人生そのものであり、日本競馬の誇りだった」
――保田隆芳
トウショウボーイが駆け抜けた20世紀のターフ。そこには、今のような洗練されたシステムはなかったかもしれない。しかし、一頭の馬が放つ圧倒的な輝きが、人々の心を動かし、文化を変え、未来を創る。その真理を、私たちは彼から教わった。天馬は今も、私たちの記憶という空を飛び続けている。





