日本競馬が、まだ「世界の二軍」と呼ばれていた時代。カツラギエースという一頭の馬が、その固定観念を根底から覆した。彼は決して選ばれたエリートではなかった。小規模牧場に生まれ、セリ市で安値で取引され、デビュー前は調教助手から「クズ馬」とまで揶揄された。しかし、その内側に秘めた闘志は、誰よりも熱く燃えていた。
三冠馬の影に隠れて
同期には「世紀のアイドル」ミスターシービーがいた。最後方から全てを飲み込むような豪脚で三冠を制したシービーに対し、カツラギエースは善戦しながらも決定打を欠く、いわば「脇役」の座に甘んじていた。菊花賞での20着大敗。その屈辱こそが、彼を真のエースへと変貌させるガソリンとなった。陣営は彼の気性の激しさを逆手に取り、「逃げ」という究極の戦法を見出す。西浦勝一騎手との出会いが、彼に翼を与えた。
府中を静まり返らせた逃走
1984年11月25日。ジャパンカップのゲートが開いた瞬間、カツラギエースは迷わず先頭に立った。10番人気。誰も彼が勝つとは思っていなかった。向こう正面、独走するエースを眺めながら、観客も、そして他国の名手たちも「どうせ最後に止まる」と高を括っていた。しかし、西浦騎手の手綱は魔法のようにエースをリラックスさせ、力を温存させていた。直線の坂。世界中の強豪が追いすがってくる中、エースはもう一度加速した。その脚色は衰えるどころか、さらに鋭さを増していく。
日本競馬の夜明け
ゴールを駆け抜けた瞬間、東京競馬場を支配したのは歓声ではなく、深い静寂だった。何が起きたのか。日本馬が、あの「世界の壁」を初めて打ち破ったのだ。その事実に気づいた時、静寂は地鳴りのような咆哮へと変わった。彼が示したのは、血統や価格ではない、純粋な闘志と戦略が世界を制するという真実だった。カツラギエース。彼は単なる勝利者ではない。日本競馬が世界へ向かって羽ばたくための、最初の、そして最高の先駆者となったのである。
「彼は、私たち日本人に勇気を教えてくれた。世界と戦えるという希望を。」
――ある競馬記者の手記より
2000年、彼は21歳でその生涯を閉じた。しかし、彼が東京競馬場の直線で見せたあの孤独な、そして誇り高い背中は、今もなお多くの競馬ファンの心の中に、永遠の「エース」として走り続けている。




