オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワン。歴史は彼らを「平成三強」と呼び、時代の中心に据えた。その巨大な影に隠れるように、しかし決して屈することなく走り続けた一頭の馬がいた。その名はヤエノムテキ。四白流星の美しい姿に、ダンプカーと称される荒々しい魂を宿した鬼才である。
幸運から始まった、終わりのない証明
彼のクラシックは、ある種の「幸運」から幕を開けた。抽選を突破し、最内枠を引き当て、異例の条件で掴み取った皐月賞。しかし、世間はそれを「三強不在の幸運」と呼び、彼を王座の正当な後継者とは認めなかった。続くレースでの敗北、距離の壁、そして台頭する怪物たち。彼はいつしか、スターたちの引き立て役として「善戦マン」のレッテルを貼られていく。だが、ヤエノムテキの辞書に「脇役」という言葉はなかった。彼は沈黙の中で牙を研ぎ、己の真価を証明するその時を待ち続けた。
府中の2000メートル、真実の覚醒
運命の1990年、天皇賞(秋)。オグリキャップという絶対的な太陽が陰りを見せ始めたその日、ヤエノムテキは生涯最高の輝きを放つ。名手・岡部幸雄の手綱に導かれ、最内から弾丸のように突き抜けた。記録されたタイムは、当時の限界を超えた1分58秒2。それは、三強の陰で耐え忍んだ彼が、自らの足跡で歴史を塗り替えた瞬間だった。誰の力でもない、己のパワーとスピードだけで勝ち取った栄光。その時、彼は初めて「三強の一角」ではなく、「唯一無二のヤエノムテキ」として競馬史にその名を刻み込んだのだ。
美しき暴君の終幕
引退レースで見せたあの放馬は、彼からファンへの最後の手紙だったのかもしれない。型に嵌められることを嫌い、自らの意思でターフを駆ける。その激しさと気高さこそが、彼が駆け抜けた時代の熱量そのものだった。通算23戦。勝った数よりも負けた数の方が多いかもしれない。しかし、彼が東京の直線で見せたあの閃光のような走りは、数字以上の感動を私たちの心に残している。脇役であることを拒み、最強の時代に風穴を開けた鬼才。ヤエノムテキという物語は、今もなお、不屈の精神の象徴として輝き続けている。
「彼は自分の走るべき道を、誰よりも理解していた。あの天皇賞の走りは、その結晶だ」
――岡部幸雄
時代がどれほど移り変わろうとも、私たちは忘れない。最強と呼ばれた三強の真ん中を、誰よりも力強く突き抜けていった、あの四白流星の美しき勇姿を。




