サクラスターオーという馬の名を呼ぶとき、私たちの胸には、甘美な勝利の喜びよりも先に、締め付けられるような切なさがこみ上げる。わずか7戦のキャリア。その半分以上を怪我との闘いに費やし、文字通り「命を削って」走り抜けたその姿は、昭和の終わりにターフを横切った一筋の閃光そのものだった。
孤独という名の産声
1984年、名門・藤原牧場に生まれた彼は、生後わずか2ヶ月で母・サクラスマイルを失う。乳母を拒絶し、人の手からミルクをもらって育ったその眼差しは、幼い頃からどこか大人びていたという。自分を育てた人間への深い信頼。その絆が、後に彼に課せられる過酷な運命を耐え抜くための、唯一の武器となった。弥生賞を勝ち、いざクラシックへという矢先、今度は「父代わり」の生産者・藤原祥三氏がこの世を去る。母に続き、最も愛した人間までも失った彼は、その悲しみを知ってか知らずか、ただ黙々と、自らの脚と向き合い続けた。
202日の奇跡、そして絶叫
皐月賞を制し、クラシックの主役に踊り出た彼を襲った繋靱帯炎。ダービーは夢に消えた。誰もが再起を危ぶんだ半年以上の空白。しかし、1987年11月。京都競馬場のパドックに、彼はいた。「無謀」「虐待」という批判の声すらあった復帰劇。しかし、3コーナーから彼がまくり上げた瞬間、澱んでいた淀の空気は一変した。直線、力強く抜け出し、ゴール板を先頭で駆け抜ける。杉本清氏の「菊の季節にサクラが満開!」という叫びは、まさに日本中が待ち望んだ奇跡への祝砲だった。彼は「最も速い馬」であることを証明し、その半年後、「最も強い馬」であることをも証明してみせたのだ。
誇り高き、最後の137日
運命の有馬記念。1番人気の支持を受け、第4コーナーで夢は砕け散った。折れ曲がった脚。本来ならその場で安楽死の宣告がなされるほどの重傷だった。しかし、陣営は、そしてファンは諦めなかった。馬主の「せめて種牡馬に」という願い、そして全国から届く千羽鶴。彼はそこから、さらに137日間を生き抜いた。痩せ細り、三本脚で立ち続ける過酷な闘病。5月12日、最後には残された反対側の脚までもが悲鳴を上げ、彼は静かに眠りについた。それは敗北ではなく、最後の最後までサラブレッドとしての誇りを失わなかった、崇高な生への執着だった。
「スターオーも、本望でしょう。華やかな舞台に立って、華麗に散ったのだから…」
――平井雄二調教師
彼は今、静内を見下ろす丘で眠っている。その血が未来へ繋がることはなかった。しかし、彼が残した「不屈」という名の教訓は、今も競馬というスポーツの根底に流れている。絶望の淵にあっても、愛する者のために走り、生き抜こうとする意志。サクラスターオーという名は、これからも「奇跡」の代名詞として、人々の記憶という名のターフを永遠に走り続けるだろう。





