Green Grass

The SamuraiGreen Grass

「天馬」でも「貴公子」でもない。
最後に立っていたのは、この男だ。

PROFILE

生誕1973.04.05
調教師中野隆良 (美浦)
主戦騎手安田富男 / 岡部幸雄 / 大崎昭一
通算成績26戦8勝 [8-5-4-9]
主な勝鞍有馬記念 (G1)
天皇賞・春 (G1)
菊花賞 (G1)
アメリカJCC (G2)、日本経済賞 (G2)

PEDIGREE

FATHER
インターメゾ
(英) 1966
Hornbeam
Plaza
×
MOTHER
ダーリングヒメ
(日) 1964
ニンバス
ダーリングクイン

父はハイペリオン系の重厚なスタミナを伝え、母は「夏女」と称された快速馬。良血が集うTTGの中でも、その泥臭いまでの持続力と勝負根性は、まさに北の大地が育んだ野武士そのものだった。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 26 RUNS8 - 5 - 4 - 9
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1979.12.16有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m大崎昭一1st
1978.04.29天皇賞・春 (G1)京都 / 芝3200m岡部幸雄1st
1977.12.18有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m嶋田功3rd
1977.11.27天皇賞・秋 (G1)東京 / 芝3200m安田富男5th
1977.07.03日本経済賞 (G2)中山 / 芝2500m安田富男1st
1977.04.29天皇賞・春 (G1)京都 / 芝3200m安田富男4th
1977.01.23アメリカJCC (G2)東京 / 芝2400m安田富男1st
1976.11.14菊花賞 (G1)京都 / 芝3000m安田富男1st
1976.10.24鹿島灘特別中山 / 芝2000m安田富男1st
1976.01.314歳新馬東京 / 芝1400m菅原泰夫4th
CAREER HIGHLIGHTS

野武士の意地

01
Kikuka Sho
2-4
1976.11.14 / 京都 3000m

THE UPSET

第37回 菊花賞

12番人気、単勝52.5倍。誰もが「二強」の決着を信じて疑わなかった。しかし、中野調教師の「インを突け」という指示を安田騎手が完璧に遂行。直線、開いた最内から突き抜けた緑のメンコが、歴史が動いた瞬間を告げた。

ODDS
52.5
RANKING
12th
02
Arima Kinen 1977
1
1977.12.18 / 中山 2500m

TRIPLE DEAD HEAT

第22回 有馬記念

テンポイントとトウショウボーイ。日本競馬史上最高とされるマッチレースの影で、彼は猛然と追い上げた。結果は3着。しかし、勝ち馬からわずか0.2秒差。三強「TTG」の時代を決定づけた、意地の追撃戦だった。

1着 テンポイント2着 トウショウボーイ
03
Tenno Sho Spring
4
1978.04.29 / 京都 3200m

GREEN ROAD

第77回 天皇賞(春)

「緑の街道を突っ走りました!三度目の正直!」杉本清アナウンサーの叫びが淀に響く。脚部不安を抱えながら、3度目の挑戦で掴んだ盾の栄誉。岡部幸雄とのコンビで、長距離王としての地位を不動のものにした。

TIME
3:20.8
JOCKEY
Y.OKABE
04
Arima Kinen 1979
3
1979.12.16 / 中山 2500m

LAST HERO

第24回 有馬記念

ライバルたちが去ったターフで、彼は走り続けた。7歳(旧齢)での引退レース。3コーナーから早めに先頭に立ち、メジロファントムの猛追をハナ差で凌ぎ切る。計算し尽くされた逃げ切り。TTG最後の生き残りによる、最高に劇的な終止符。

1着 グリーングラス2着 メジロファントム
DATA ANALYTICS

古馬の威厳
レコード勝ち

1977年、アメリカジョッキークラブカップ。TTG三強が古馬となって初めて顔を合わせたこの一戦で、彼は次元の違う走りを見せた。当時のレコードタイムを塗り替える2分26秒3で完勝。菊花賞の勝利がフロック(偶然)ではないことを、自らの脚で証明した歴史的な一戦である。

2:26.3

COURSE RECORD

2400m 走破時計

※1977 アメリカJCC

POWER & STAMINA

野武士の能力チャート
STAMINA (Endurance)98/100
UNMATCHED
DETERMINATION95/100
NOBUSHI SPIRIT
SPEED (Record Best)88/100
HIGH LEVEL
卓越した長距離適性
GREENGRASS
これまで日本競馬界で馬づくりの世界に飛び込んできて良かったと、初めて実感できた。
調教師 中野隆良
菊花賞勝利後のコメント
こいつらにゃ、とても敵わない。
けれど負け犬じゃない。馬が、馬を認めたんだ。
当時の競馬ファン
TTGの死闘を振り返って
FAN VOICES

語り継がれる記憶

F

菊花賞の日は凄かった。福島の馬主さんだから皆買ってたんだ。的中が多すぎて競馬場の現金が底をついたなんて伝説、後にも先にもグリーングラスだけだよ。

S

杉本さんの「三度目の正直」の実況は今聞いても涙が出る。華やかな2頭に隠れがちだったけど、一番タフで、一番長く走ったのはこの馬だった。

H

有馬記念での執念。メジロファントムをハナ差で抑えたあの瞬間、彼はただの三番手ではなく、歴史を象徴する「最後の勇者」になった。

BEHIND THE SCENES

野武士の素顔

強靭な精神力の裏側にあった、苦難と執念のエピソード

01

痛みに耐えた闘魂

1977年の天皇賞・春。グリーングラスは調整中に歯替わりと虫歯を発症していた。食べることさえ苦痛なはずの状態で、彼はレースに出走し4着と掲示板を確保した。脚部不安を抱えながらも走り続けたその姿は、関係者から「言葉にできないほどの辛抱強さ」と評された。

02

中野調教師の勝負勘

菊花賞での大番狂わせは、若き中野調教師の緻密な分析から生まれた。当時の京都は内が荒れていると言われたが、彼はあえて「インが開く」と確信。安田騎手へ送った「一か八かの奇襲」という指示。この信頼関係が、のちに年度代表馬へと登り詰める野武士の原点となった。

Tenpoint
THE ARCHRIVAL
DESTINY

TENPOINT

テンポイント

「流星の貴公子」と呼ばれたテンポイントは、グリーングラスにとって最も眩しく、最も高い壁だった。

1977年、有馬記念。テンポイントとトウショウボーイが織りなす伝説のマッチレース。その背後、猛然と追い込み三強の一角として意地を見せたのがグリーングラスだった。その後のテンポイントの悲劇、そしてトウショウボーイの引退。

友たちが去ったターフで、グリーングラスは彼らの魂を背負うように走り続けた。対照的な血統、対照的な馬生。しかし、その絆こそが日本競馬の黄金時代を支えたのである。

1977ARIMA KINEN
3rdグリーングラス
vs
1stテンポイント

緑の街道、最後の勇者

緑の街道、最後の勇者

競馬の歴史は、時に残酷で、時に美しい。1970年代後半、日本中を熱狂させた「TTG」の物語において、グリーングラスは常に「三番手の男」と見なされてきた。天馬トウショウボーイ、貴公子テンポイント。そのあまりに華やかな二頭の輝きに、漆黒の馬体を持つ彼は、影のように寄り添い続けた。

12番人気の衝撃と「野武士」の誕生

彼が歴史の表舞台に躍り出たのは、1976年の菊花賞だった。獲得賞金不足で出走すら危ぶまれた、12番人気の伏兵。しかし、最内を強襲し二強を抜き去った瞬間に、人々の評価は一変した。エリートでもなく、華美でもない。泥臭く、しかし決して折れないその走りに、ファンは最大級の敬意を込めて「野武士」という名を贈ったのである。

三度目の正直、そして孤独な闘い

しかし、栄光の影には常に苦難があった。古馬となってからのグリーングラスは、重度の脚部不安に悩まされ続ける。それでも彼は休まなかった。三度目の挑戦となった1978年の天皇賞・春。「緑の街道を突っ走りました!」という杉本アナの絶叫と共に、彼はついに盾を掴む。その直後、ライバルたちは次々とターフを去った。一人は志半ばで命を落とし、一人は華々しく種牡馬入りした。残されたのは、満身創痍の野武士だけだった。

有終の美、ハナ差の記憶

1979年、冬。引退レースとして迎えた有馬記念。もはやかつてのライバルは誰もいない。しかし、彼は自らの誇りのために走った。3コーナーからのロングスパート。粘り、耐え、メジロファントムの猛追をハナ差で凌ぎ切ったゴール板。それは、TTG時代の最後を見事に締めくくる、あまりにも完璧なカーテンコールだった。

「菊花賞を勝てたのは天の恵み。こいつらにゃ、とても敵わない。負け犬じゃない。馬が、馬を認めたんだ」
――一人のファンが遺した言葉

通算26戦。彼は一度たりとも、その誇りを捨てることはなかった。華やかなライバルたちの陰にいた男が、最後には一番長く走り続け、年度代表馬として物語を完結させた。グリーングラス――その名は、日本競馬の青春が最も美しく、最も激しく燃えた時代の証人として、永遠に語り継がれるだろう。緑の街道を駆け抜けた、孤高の勇者の記憶を、私たちは決して忘れない。