漆黒の馬体に、どこか哀愁を漂わせた瞳。ライスシャワーという名は、祝福の「米のシャワー」を意味していたが、彼の歩んだ道のりは、時に残酷なまでに過酷で、時に劇的なまでの輝きに満ちていた。彼はただ速く走ろうとしたのではない。ただひたすらに、与えられた「勝利」という標的だけを見つめ、命を削って走り続けた。
刺客と呼ばれた孤独な日々
1992年、日本中がミホノブルボンの三冠達成を待ち望んでいた。しかし、ライスシャワーはその期待を容赦なく打ち砕く。翌年、天皇賞(春)では、三連覇を狙う王者メジロマックイーンを完膚なきまでに叩きのめした。人々は彼を「黒い刺客」と呼び、勝利のあとにさえブーイングが浴びせられることもあった。しかし、彼はその孤独を受け入れ、ただ黙々と、極限まで磨き上げられた肉体でターフを切り裂いた。
絶望の底からの、奇跡の帰還
栄光は長くは続かなかった。マックイーンを下した代償のように、彼の体は疲弊し、度重なる骨折が彼を襲った。誰もが「ライスは終わった」と口にし、種牡馬としての価値さえ疑問視された。しかし、彼は諦めなかった。1995年、天皇賞(春)。728日の空白を経て、彼は再び京都の地で先頭に立った。その時、かつて彼を「悪役」と呼んだファンたちが、その不屈の闘志に心打たれ、地を揺るがすような大声援で彼を包み込んだ。刺客は、この日、真のヒーローとなったのだ。
淀の芝に溶けた魂
そして迎えた宝塚記念。彼は愛する京都で、文字通りターフと一つになった。倒れゆくその瞬間、自分よりも騎手の命を案じたような最期の行動。ライスシャワー。彼は勝つことで誰かの夢を壊したかもしれないが、それ以上に多くの人々に「立ち上がる勇気」を与えてくれた。現在、京都競馬場の片隅にひっそりと佇む彼の碑には、今も途絶えることなくファンが訪れ、好物だった青草や花を供える。淀の風が吹くたび、私たちは思い出す。あの美しく、切ないステイヤーが駆け抜けた、永遠の季節を。
「ライスシャワーは僕の命の恩人です。彼は最期まで、僕を守ってくれました」
――的場均
通算25戦6勝。その数字の中に収まりきらないほどのドラマを、彼はその蹄音と共に残していった。彼が愛した京都の第3コーナーは、今も静かに彼の帰りを待っている。ライスシャワー、君の名は永遠に、祝福のシャワーと共に、競馬ファンの心に降り注ぎ続けるだろう。




