1970年代後半、日本競馬界に一頭の「スーパーカー」が現れた。マルゼンスキー。 8戦無敗、圧倒的な実力を持ちながらも、持込馬という制度の壁に阻まれ、ダービーのゲートに立つことさえ許されなかった。 「賞金もいらない、他の馬の邪魔もしない、だからダービーを走らせてくれ」。 主戦の中野渡騎手が叫んだあの無念から11年。その血を継ぐ一頭の栗毛が、父の果たせなかった夢を背負って府中のターフに現れた。
無印のダービー馬
サクラチヨノオー。朝日杯を制し、弥生賞で逃げ切った彼は、本来ならば世代の主役であるはずだった。 しかし、皐月賞での失速は周囲の評価を冷酷に変えた。「2400mは長すぎる」「早熟のマイラーだ」。 ダービー当日、スポーツ新聞の印は冷たく「無印」が並んだ。 15万人の大観衆が見つめる中、彼はかつての父が夢見た舞台で、孤独な戦いに挑むこととなる。
一度折れた心が、再び燃えた瞬間
レースは過酷だった。大逃げを打つ馬を追い、平均ペース以上の流れに身を投じる。 最終直線、坂を駆け上がる途中で、内から伸びたメジロアルダンに一度は完全に交わされた。 誰の目にも勝負は決したかに見えた。実況も、観客も、そしておそらくは騎手ですら。 だが、サクラチヨノオーの心だけは折れていなかった。 父が走れなかったこの道を、無様に負けたまま終わらせるわけにはいかない。 坂を登りきった瞬間、彼はまるで別人のような加速を見せる。「差し返し」。 一度抜かれた馬が再び抜き返す、競馬において最も困難で、最も美しい逆転劇が、ダービーのゴール板前で繰り広げられた。
昭和の終わりを告げるレコード
2分26秒3。掲示板に刻まれた数字は、当時のレコードを塗り替える歴史的な記録だった。 全オーナーが涙を流し、小島騎手が「何かが後押しした」と語ったあのクビ差。 それは、父マルゼンスキーの魂と、若くして散ったサクラスターオーの想いが重なった、まさに「奇跡」の結晶だった。
「この馬は本当に強い。最高の状態だった」
――小島太
その後、彼は故障に泣き、かつての輝きを取り戻すことなく静かに引退した。 しかし、あの坂の上で見せた驚異の粘りは、今もなお競馬ファンの語り草となっている。 昭和という激動の時代が幕を閉じる直前、私たちは見たのだ。 一頭のサラブレッドが、血の宿命を背負い、執念だけで歴史をねじ伏せた、あの至高の瞬間を。




