テンポイント:流星の貴公子の軌跡
Ten Point

The NoblemanTen Point

「見てくれこの脚!見てくれこの脚!」
それは、伝説へと続く疾走だった。

PROFILE

生誕1973.04.19
調教師小川佐助 (栗東)
主戦騎手鹿戸明
通算成績18戦11勝 [11-4-2-1]
主な勝鞍有馬記念 (八大競走)
天皇賞・春 (八大競走)
阪神3歳ステークス
京都大賞典 (2回)、鳴尾記念

PEDIGREE

FATHER
コントライト
(愛) 1968
Declaration of War
Elizabeth de Valois
×
MOTHER
ワカクモ
(日) 1963
カバーラップ二世
クモワカ

父はアイルランド産の不遇な種牡馬、母は桜花賞馬ワカクモ。祖母クモワカの伝貧誤診事件という数奇な運命を乗り越え、その血筋は「天からの授かりもの」と称されるほどの結晶となり、日本競馬史に残る美しき流星を生んだ。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 18 RUNS11 - 4 - 2 - 1
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1978.01.22日本経済新春杯京都 / 芝2400m鹿戸明中止
1977.12.18有馬記念中山 / 芝2500m鹿戸明1st
1977.11.12オープン戦東京 / 芝1800m鹿戸明1st
1977.10.16京都大賞典京都 / 芝2400m鹿戸明1st
1977.06.05宝塚記念阪神 / 芝2200m鹿戸明2nd
1977.04.29天皇賞・春京都 / 芝3200m鹿戸明1st
1977.03.27鳴尾記念阪神 / 芝2400m鹿戸明1st
1977.02.13京都記念(春)京都 / 芝2400m鹿戸明1st
1976.12.19有馬記念中山 / 芝2500m鹿戸明2nd
1976.11.14菊花賞京都 / 芝3000m鹿戸明2nd
1976.10.17京都大賞典京都 / 芝2400m鹿戸明3rd
1976.05.30東京優駿(ダービー)東京 / 芝2400m武邦彦7th
1976.04.25皐月賞東京 / 芝2000m鹿戸明2nd
1976.03.28スプリングS中山 / 芝1800m鹿戸明1st
1976.02.15東京4歳S東京 / 芝1800m鹿戸明1st
1975.12.07阪神3歳S阪神 / 芝1600m鹿戸明1st
1975.11.09もみじ賞京都 / 芝1400m鹿戸明1st
1975.08.173歳新馬函館 / 芝1000m鹿戸明1st
CAREER HIGHLIGHTS

流星の伝説

01
New Horse Race
1
1975.08.17 / 函館 1000m

THE SENSATIONAL

3歳新馬戦

函館の地で幕を開けた伝説。単勝1.6倍の圧倒的支持を受けたテンポイントは、スタートから独走態勢。一度も鞭を入れることなく後続を突き放し、2着に10馬身という絶望的な差をつけてゴール。時計は従来のレコードを0.5秒塗り替える衝撃のデビューだった。

MARGIN
10 LENS
TIME
58.8 (R)
02
Hanshin 3yo Stakes
1
1975.12.07 / 阪神 1600m

KANSAI PRIDE

第27回 阪神3歳ステークス

「見てくれこの脚!」杉本清アナウンサーの叫びが轟く。道中で一旦後退するも、直線で再点火すると次元の違う末脚で他馬をごぼう抜き。7馬身差の圧勝劇は、ついに関西から「怪物」が現れたことを全国に知らしめる決定打となった。

1着 テンポイント2着 ゴールデンタテヤマ
03
Tenno Sho Spring
1-1
1977.04.29 / 京都 3200m

THE MAJESTY

第75回 天皇賞(春)

幾多の惜敗を乗り越え、ついに掴んだ盾の栄誉。古馬となり凄みを増した貴公子は、淀の長い直線を力強く駆け抜けた。クラウンピラードやグリーングラスの猛追を完封。悲運の影を振り払い、名実ともに日本競馬の頂点へと登り詰めた瞬間だった。

TIME
3:21.7
JOCKEY
A.SHIKATO
04
Arima Kinen Match Race
3
1977.12.18 / 中山 2500m

ETERNAL RIVALRY

第22回 有馬記念

日本競馬史に刻まれる「1分間の沈黙」。宿敵トウショウボーイとの、三番手以下を10馬身以上突き放す壮絶なマッチレース。直線、並んで叩き合う二頭の姿に、中山競馬場は絶叫を超えた静寂に包まれた。クビ差の勝利。それは魂と魂がぶつかり合った、至高の芸術品だった。

1着 テンポイント2着 トウショウボーイ
DATA ANALYTICS

異次元の
マッチレース

1977年有馬記念。テンポイントとトウショウボーイの2頭が刻んだラップは、当時の常識を遥かに超えていた。3着のグリーングラスとの着差は実に6馬身。後続を置き去りにしたこのタイム差は、上位2頭の実力が当時の競馬界においていかに突出していたかを如実に物語っている。

6 LENS

DISTANCE GAP

3着馬との着差

※1977 有馬記念

PERFORMANCE GAP

二強の証明
TEN POINT / TOSHO BOY1st-2nd
THE TWO GIANTS
GREEN GRASS (3rd)+1.0s
TOP CLASS
THE FIELD (4th-)+2.1s+
ORDINARY
二強との実力差
TEN POINT
勝てるよ。私の競馬人生の中で、
これほど充実した馬を見たのは初めてです。
調教師 小川佐助
1977年 有馬記念直前
後ろから引っぱられて、
沈みこむような感覚だった。
主戦騎手 鹿戸明
日経新春杯の事故を振り返って
FAN VOICES

ファンからの声

S

有馬記念、お年玉を全部単勝につぎ込みました。トウショウボーイとの叩き合い、テレビの前で声が枯れるまで叫んだ。あんなに美しいレースはもう二度と見られないと思います。

H

入院中にテンポイントの事故を知りました。彼が懸命に生きようとする姿を見て、僕も治療を頑張ろうと思えた。千羽鶴を折って送りました。彼は僕たちのヒーローでした。

K

雪の降る厩舎、ファンからの電話が鳴り止まなかった43日間。一頭の馬がこれほどまでに日本中を動かした。彼の死は、単なる一頭の馬の死ではなかった。

BEHIND THE SCENES

秘蔵エピソード

美しき「流星の貴公子」が遺した、忘れがたき記憶

01

素顔の貴公子

その名の通り、額に鮮やかな流星を持つテンポイント。厩務員の山田氏は、その美しさを隠さぬよう、レースでも決してメンコ(覆面)を装着させなかった。普段は驚くほど利口で素直な馬だったが、ライバルに抜かれることだけは決して許さない、激しい闘争心を内に秘めていたという。

02

届けられた五万羽の祈り

日経新春杯での大事故の後、厩舎には全国から助命を願う手紙とお守り、そして千羽鶴が殺到した。その数は最終的に五万羽を超えたという。馬房の前に布団を敷いて寝泊まりした山田厩務員は、ファンから届いた千羽鶴に囲まれながら、愛馬の最期を看取った。

Tosho Boy
THE ARCHRIVAL
DESTINY

TOSHO BOY

トウショウボーイ

「天馬」と呼ばれたトウショウボーイがいなければ、テンポイントの物語はこれほどまでに輝くことはなかっただろう。華やかなエリート街道を歩むトウショウボーイに対し、どこか影のある「悲運の貴公子」テンポイント。対照的な二頭は、TTG時代の象徴として1970年代の日本競馬を熱狂の渦に巻き込んだ。1977年有馬記念、宿敵を打ち破り、初めてその背中を捉えた瞬間の歓喜。それは二頭が織りなした、あまりにも残酷で美しい、運命の交差だった。

1977ARIMA KINEN
1stテンポイント
vs
2ndトウショウボーイ

雪に散った貴公子

雪に散った貴公子

日本の競馬史において、これほどまでに愛され、これほどまでに惜しまれた馬はいない。テンポイント。その名は、1970年代のターフを鮮烈に駆け抜けた一筋の流星として、今なお語り継がれている。しかし、その輝きは、あまりにも短く、あまりにも壮絶な最期によって永遠のものとなった。

数奇な血統と、悲運の影

その誕生からしてドラマチックだった。祖母クモワカの伝貧誤診事件。殺処分命令から秘密裏に逃れ、生き延びた血脈。母ワカクモが桜花賞でその雪辱を晴らし、その結晶としてテンポイントはこの世に生を受けた。輝くような栗毛に、真っ直ぐな流星。その美しさは瞬く間にファンを虜にしたが、クラシックでの敗北は彼に「悲運の貴公子」という切ない称号を与えた。勝てない。届かない。宿敵トウショウボーイの影を追う日々。その苦悩が、彼の物語をより一層深く、情緒的なものへと変えていった。

世紀の一戦、そして栄光

1977年、冬の中山。有馬記念。それは、それまでのすべてを懸けた戦いだった。スタートから他を寄せ付けず、二頭だけで駆け抜けた2500メートル。実況すら沈黙するほどの、魂を削り合う叩き合い。ゴール板を駆け抜けたとき、テンポイントはついに宿敵をクビ差でねじ伏せた。日本中が沸き立ち、誰もが「世界」を確信した。彼はついに悲運を払い、真の王者となったのだ。しかし、運命はあまりにも残酷なシナリオを用意していた。

43日間の奇跡

海外遠征への壮行レース、1978年日経新春杯。雪の舞う京都で、非情な音が響いた。左後肢の開放骨折。通常なら即座に安楽死が選ばれる絶望的な状況。しかし、競馬場に鳴り響く電話の嵐、ファンからの助命嘆願。日本競馬史上、例を見ない治療チームが結成された。ボルトで繋がれた脚、衰弱していく馬体。彼は43日間、必死に生きようとした。その姿は、競馬ファンのみならず、病に苦しむ子供たちや、困難に立ち向かうすべての人々に勇気を与えた。1978年3月5日。300kgを下回るまで痩せ細りながらも、彼は最期まで一頭の戦士として誇り高く旅立った。

「テンポイント! テンポイント! 返事をしてくれ!」
―― 厩務員 山田幸守

彼が逝った後、競馬界の斤量制度は大きく見直された。彼の犠牲は、後の名馬たちの命を守る礎となったのである。通算18戦11勝。数字だけでは語り得ない、その美しき疾走と、日本中を涙させた43日間の記憶。テンポイントは、今もなお私たちの心の中に、消えることのない流星となって輝き続けている。