競馬の歴史において、これほどまでに「予測不能」という言葉が似合う馬はいなかった。ダイタクヘリオス。その名は、太陽神の如き輝きと、制御不能な旋風を同時に連想させる。彼は単なるマイル王ではなかった。ファンの期待を裏切り、嘲笑い、そして誰にも真似できない輝きで最後には全てを黙らせる。そんな稀代のエンターテイナーだった。
岸滋彦と歩んだ、孤独な闘争
父ビゼンニシキがシンボリルドルフの影に泣いたように、ヘリオスもまた、当初はその真価を認められていなかった。若き岸滋彦騎手とのコンビは、時に「勝てないコンビ」と揶揄された。人気を集めては沈み、批判の矢面に立つ日々。しかし、陣営は彼を信じ続けた。1991年のマイルチャンピオンシップ、直線でライバルたちを突き放し、岸の腕の中で彼が初めてG1の壁を突き破った瞬間、その批判は一瞬にして熱狂的な賛辞へと変わった。泥臭く、不器用で、しかし誰よりも速い。その姿に、人々は自らの人生を重ね合わせたのだ。
「笑いながら走る」という伝説
彼の走法は独特だった。高い頭、割れた口、そしてハミを越えて出される舌。まるで苦しさを笑い飛ばしているかのようなその表情は、見る者に強烈な印象を残した。専門家が「欠陥」と呼んだその癖こそが、彼の真面目すぎるほどの闘争心の現れだったのだ。「前に行かなければならない」という本能。その一念だけで、彼はマイルの絶対王者へと登り詰めた。ダイイチルビーという最高のライバルとの戦いの中で、彼は「雑草」というレッテルを「個性」という名の勲章に書き換えたのである。
爆逃げの果てに見えた景色
1992年の有馬記念。それは、彼がファンに贈った最後の、そして最大のプレゼントだった。盟友メジロパーマーと共に、2500mという距離を完全に無視してターフを爆走したあの一人旅。勝算などなかったかもしれない。しかし、あの時の中山競馬場には、確かに「競馬の楽しさ」が充満していた。結果は12着。だが、ゴール後に彼が向けた、いつも通りの「笑顔」こそが、ダイタクヘリオスという物語の完璧な結末だった。
「最後はもう歩く寸前。でも、ヘリオスは最後までヘリオスでした」
――岸滋彦
彼は死後もなお、語り継がれる。人気に左右されず、自分の信じた速さだけで駆け抜けたその蹄音を。私たちは忘れないだろう。冬の陽光の下、京都の坂を笑いながら駆け下りてきた、あの美しくも騒がしいマイル王の姿を。ダイタクヘリオス。彼は今も、天上の牧場でゴロンと寝転びながら、私たちの予想が外れるのを笑って眺めているに違いない。





