ニッポーテイオーが駆けた1980年代後半は、日本競馬が「ギャンブル」から「スポーツ」へと、劇的なパラダイムシフトを遂げる過渡期だった。その熱狂の渦中で、彼は常に先頭を走り続け、自らのスピードですべてを黙らせた。誰に甘えることもなく、ひたすら前だけを見据えて逃げ続けたその姿は、昭和という激動の時代を象徴する、誇り高きサラブレッドの完成形だった。
挫折から見出した、真の領分
デビュー当初、彼はクラシックの王道を歩んでいた。しかし、皐月賞での大敗とNHK杯での8着。日本ダービーという最高の名誉を目前にしながら、陣営は「この馬は中長距離ではない、マイルこそが主戦場だ」という苦渋の、しかし英断を下す。この路線変更が、彼に「マイルの帝王」という唯一無二の称号を授けることとなった。ダービーを諦める勇気が、後のG1三冠という栄光を導き出したのだ。自らの適性を見極め、そこで頂点を目指す。それは、個性を尊重し始めた新しい時代の息吹でもあった。
天覧競馬、歴史を止めた2000メートル
彼のキャリアにおける最高傑作は、間違いなく1987年の天皇賞(秋)だ。皇太子殿下(後の上皇陛下)ご夫妻が見守る中、重馬場を厭わずハナを奪った姿。2000mという距離は、マイルを主戦場とする彼にとっては未知の領域であったはずだ。しかし、郷原騎手の「この馬を信じる」という決意と、ニッポーテイオーの底知れぬ根性が呼応し、直線では後続を絶望に突き落とす5馬身差の独走。重馬場をものともしない1分59秒7。その日、東京競馬場にいた誰もが、真の王者の降臨を確信した。この逃げ切り勝ちは、その後、数多の名馬が挑んでも成し遂げられなかった「聖域」として今も歴史に刻まれている。
ハルウララに受け継がれた「不屈」
引退後、種牡馬となった彼が残した最大の遺産は、意外な形で花開くことになる。それは、高知競馬で113連敗を喫し、日本中に勇気を与えた「負け組の星」ハルウララだ。世界一強い父から、一度も勝てなかった娘へ。一見すると対極にある二頭だが、その根底に流れるものは同じだ。どんな状況でも腐らず、最後まで走り抜く闘争心。父がG1の大舞台で示した不屈の精神は、娘の「走り続ける」という意思の中に、形を変えて確かに息づいていた。
「影が見えたら追い出そうと思っていたが、最後まで影は見えなかった」
――郷原洋行
2016年、33歳の天寿を全うした彼は、今も北海道の空の下で眠っている。彼の名前は、華やかな平成のアイドルホースたちの影に隠れることもあるかもしれない。しかし、昭和から平成へとバトンが渡されるあの瞬間、誰よりも速く、誰よりも美しく、誰にも影を踏ませずにターフを駆け抜けたのは、間違いなくこの「帝王」だった。私たちが今、目の前のマイル戦に熱狂できるのは、彼が切り開いた「マイルの価値」という覇道があるからに他ならない。




