高度経済成長が落ち着きを見せ、人々が新しい時代の「個性」を求めていた1980年代初頭。 競馬界に突如として現れたミスターシービーは、まさに時代が求めた「自由の象徴」だった。 父は天馬トウショウボーイ。母は良血シービークイン。 そのエリートな血統を背負いながら、彼の走りはあまりにも型破りで、あまりにも美しかった。
三冠という名の革命
1964年のシンザン以来、誰も成し遂げられなかったクラシック三冠。 その重すぎる扉を、シービーは軽やかに、そして強烈な衝撃と共にこじ開けた。 皐月賞、日本ダービー、菊花賞。そのすべてを「最後方からの追撃」という、当時のセオリーを無視した走法で制した。 特に菊花賞の、坂を下りながら加速して先頭に立つあの狂気的なロングスパートは、今なお語り草となっている。 「強い馬が勝つ」のではない。「ミスターシービーが勝つ」ことに意味があった。
貴公子の孤独な蹄音
しかし、その栄光の裏側で、シービーは常に自らの「蹄の弱さ」という孤独な戦いを強いられていた。 薄すぎる蹄は、全力で走るたびに彼に激痛を与えていたのかもしれない。 それでも彼は走った。たとえ脚を犠牲にしても、ファンの歓声に応えるかのように、府中の直線で、淀の坂で、風を切り裂き続けた。 シンボリルドルフという「皇帝」が現れたとき、時代の主役は交代を告げられたが、ファンの心にはいつまでも、皇帝に屈しない自由な貴公子の残像が残っていた。
永遠のアイドルとして
1985年、雨の引退式。ターフを去る彼に、人々は惜しみない拍手を送った。 獲得した賞金やタイトルの数以上に、彼が日本競馬に与えた「熱狂」というギフトは計り知れない。 それまでギャンブルとして見られがちだった競馬を、若者や女性をも巻き込む「エンターテインメント」へと変えた功績。 ミスターシービーがいなければ、後のオグリキャップも、武豊も、ディープインパクトも、これほどまでの熱を帯びることはなかったかもしれない。
「三冠達成は、えらいことをしでかしたというのが実感。これからが大変だと思う」
――松山康久
放牧地の隣で過ごした母シービークインの姿を見ながら、彼は静かに余生を終えた。 常識に縛られず、ただ自分の信じるままに駆け抜けたその蹄音は、今も私たちの記憶の中で響き続けている。 昭和という激動の時代、一筋の閃光のように走り抜けたミスターシービー。 彼こそが、日本競馬が生んだ、史上最も愛された「自由」そのものだった。




