Mr. C.B.

The MaverickMr. C.B.

「常識」という名の鎖を、
その末脚で引きちぎった。

PROFILE

生誕1980.04.07
調教師松山康久 (美浦)
主戦騎手吉永正人
通算成績15戦8勝 [8-3-1-3]
主な勝鞍皐月賞 (G1)
日本ダービー (G1)
菊花賞 (G1)
天皇賞・秋 (G1)

PEDIGREE

FATHER
トウショウボーイ
(日本) 1973
テスコボーイ
ソシアルバターフライ
×
MOTHER
シービークイン
(日本) 1973
トピオ
メイドウ

父は「天馬」トウショウボーイ、母は重賞3勝のシービークイン。同じ新馬戦でデビューした「同級生の結婚」から生まれた奇跡の結晶。父譲りのスピードと、母系から受け継いだ強靭なスタミナが、破天荒な追い込みを可能にした。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 15 RUNS8 - 3 - 1 - 3
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1985.04.29天皇賞・春 (G1)京都 / 芝3200m吉永正人5th
1985.03.31産経大阪杯 (G2)阪神 / 芝2000m吉永正人2nd
1984.12.23有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m吉永正人3rd
1984.11.25ジャパンカップ (G1)東京 / 芝2400m吉永正人10th
1984.10.28天皇賞・秋 (G1)東京 / 芝2000m吉永正人1st
1984.10.07毎日王冠 (G2)東京 / 芝1800m吉永正人2nd
1983.11.13菊花賞 (G1)京都 / 芝3000m吉永正人1st
1983.10.23京都新聞杯京都 / 芝2000m吉永正人4th
1983.05.29日本ダービー (G1)東京 / 芝2400m吉永正人1st
1983.04.17皐月賞 (G1)中山 / 芝2000m吉永正人1st
1983.03.06弥生賞中山 / 芝1800m吉永正人1st
1983.02.13共同通信杯4歳S東京 / 芝1800m吉永正人1st
1982.12.25ひいらぎ賞中山 / 芝1800m吉永正人2nd
1982.12.04黒松賞中山 / 芝1600m吉永正人1st
1982.11.063歳新馬東京 / 芝1600m吉永正人1st
CAREER HIGHLIGHTS

三冠への咆哮

01
Satsuki Sho
6-12
1983.04.17 / 中山 2000m

THE STORM

第43回 皐月賞

不良馬場、ぬかるむ路面。他馬が足を取られる中、ミスターシービーは最後方から泥を跳ね上げ進出した。インコースを突いて一気に先頭を飲み込むその姿は、荒れ狂う嵐のよう。吉永騎手とのコンビで掴んだ最初の栄冠は、伝説の幕開けに過ぎなかった。

TIME
2:08.3
GROUND
DIRTY
02
Tokyo Yushun
12
1983.05.29 / 東京 2400m

REBEL SPIRIT

第50回 日本ダービー

「ダービーポジション」という競馬の鉄則を嘲笑うかのような最後方追走。向正面、誰もが息を呑む早仕掛け。17頭を次々と抜き去り、府中の直線で弾けた。常識に囚われない自由な走りが、20数万人の大観衆を熱狂の渦に叩き込んだ。

1着 ミスターシービー2着 メジロモンスニー
03
Kikuka Sho
7-11
1983.11.13 / 京都 3000m

THE ASCENSION

第44回 菊花賞

「ゆっくり上り、ゆっくり下る」淀の坂の常識を、彼は嘲笑うかのように打ち砕いた。 2周目の向正面、最後方から一気に加速。下り坂で先頭を奪うという破天荒な走法に京都競馬場は悲鳴と歓喜に包まれた。 19年ぶりの三冠達成。それは、「神の馬」シンザンを超え、新しい時代の扉を開いた瞬間だった。

TIME
3:08.1
STATUS
TRIPLE CROWN
04
Tenno Sho Autumn
14
1984.10.28 / 東京 2000m

THE RECORD

第90回 天皇賞(秋)

休養明けの懸念を、その異次元の末脚が完璧に消し去った。 直線、最後方大外から全馬を置き去りにする強襲。 掲示板に表示されたタイムは、当時では考えられなかった1分59秒3。 東京2000mで「2分の壁」を初めて突破し、四冠馬として君臨した伝説のレコード勝ちである。

1着 ミスターシービー 2着 テュデナムキング
DATA ANALYTICS

常識を破壊した
1:59.3の衝撃

1984年の天皇賞(秋)。東京競馬場2000mの舞台で、ミスターシービーは歴史的なタイムを叩き出した。 1分59秒3。 これは従来のコースレコードを一気に1秒近く更新する、まさに時代の先を行く「異次元」の記録だった。 最後方から全馬を抜き去りながらこの時計を記録したという事実は、彼の心肺能力と瞬発力が当時のサラブレッドの限界を超えていたことを示している。

1:59.3

COURSE RECORD

2000m 走破時計

※1984 天皇賞(秋)

SPEED ANALYTICS

2分の壁を超えた日
PREVIOUS RECORD 2:00.2
PRE-1984 BEST
MR. C.B. (1984) 1:59.3
NEW FRONTIER
TIME DIFFERENCE -0.9s
MASSIVE GAP
1.0秒近い大幅短縮
MR. C.B.
僕はただ、手綱に掴まっていただけ。
馬の行く気に任せるしかなかった。
主戦騎手 吉永正人
ダービー・菊花賞後の回顧より
「なんて事をするんだ!」
と思わず立ち上がりましたよ。
調教師 松山康久
菊花賞の早仕掛けを振り返って
FAN VOICES

熱狂の記憶

S

あのダービー、17頭をごぼう抜きにした瞬間の地鳴りのような歓声。 「シービー!」という叫びが地響きとなって足元から伝わってきました。あんな熱狂は後にも先にもありません。

Y

坂を下りながら捲っていく姿を見て「負けた!」と思ったら、そのまま突き抜けた。 常識が通用しない馬。三冠達成の瞬間、泣き崩れるファンが大勢いました。

H

天皇賞秋のレコード勝ちは「もはや芸術」でした。 あの美しい瞳と、泥まみれになりながら加速する姿は、まさに昭和のアイドルそのものでした。

BEHIND THE SCENES

秘蔵エピソード

自由奔放な天才が見せた、知られざる素顔

01

「同級生の結婚」から生まれた奇跡

父トウショウボーイと母シービークイン。この二頭は1976年の新馬戦で共にデビューした「同級生」だった。 本来、母の相手は別の種牡馬が予定されていたが、種馬場スタッフの独断で父が選ばれたという。 この偶然の交配が、19年ぶりの三冠馬を誕生させる運命へと繋がっていた。

02

貴公子が見せた「美しすぎる瞳」

吉永騎手は「あんな目をした馬には二度と会えない」と語り、松山調教師は初見で「ノーブル(高貴)な馬」と直感した。 その皮膚の薄さと瞳の輝きは、多くのファンを虜にした。 引退後、テンポイント以来となる写真集が発売されたことも、彼の「美しさ」がどれほど異例だったかを物語っている。

Katsuragi Ace
THE RIVAL
NEMESIS

KATSURAGI ACE

カツラギエース

自由奔放な三冠馬の前に立ちはだかった、漆黒の逃げ馬。 同世代にして、日本調教馬初のジャパンカップ制覇を成し遂げた不屈のライバル。

1984年、ジャパンカップ。ミスターシービーが最後方から夢を追う中、カツラギエースは誰にも邪魔をさせない一人旅でターフを駆け抜けた。 対戦成績は2勝2敗の五分。シービーの豪脚を封じ込めることができる唯一の「壁」として、彼は三冠馬の輝きをより一層、鮮烈なものにした。

1984 JAPAN CUP
10th ミスターシービー
vs
1st カツラギエース

風になった自由の象徴

風になった自由の象徴

高度経済成長が落ち着きを見せ、人々が新しい時代の「個性」を求めていた1980年代初頭。 競馬界に突如として現れたミスターシービーは、まさに時代が求めた「自由の象徴」だった。 父は天馬トウショウボーイ。母は良血シービークイン。 そのエリートな血統を背負いながら、彼の走りはあまりにも型破りで、あまりにも美しかった。

三冠という名の革命

1964年のシンザン以来、誰も成し遂げられなかったクラシック三冠。 その重すぎる扉を、シービーは軽やかに、そして強烈な衝撃と共にこじ開けた。 皐月賞、日本ダービー、菊花賞。そのすべてを「最後方からの追撃」という、当時のセオリーを無視した走法で制した。 特に菊花賞の、坂を下りながら加速して先頭に立つあの狂気的なロングスパートは、今なお語り草となっている。 「強い馬が勝つ」のではない。「ミスターシービーが勝つ」ことに意味があった。

貴公子の孤独な蹄音

しかし、その栄光の裏側で、シービーは常に自らの「蹄の弱さ」という孤独な戦いを強いられていた。 薄すぎる蹄は、全力で走るたびに彼に激痛を与えていたのかもしれない。 それでも彼は走った。たとえ脚を犠牲にしても、ファンの歓声に応えるかのように、府中の直線で、淀の坂で、風を切り裂き続けた。 シンボリルドルフという「皇帝」が現れたとき、時代の主役は交代を告げられたが、ファンの心にはいつまでも、皇帝に屈しない自由な貴公子の残像が残っていた。

永遠のアイドルとして

1985年、雨の引退式。ターフを去る彼に、人々は惜しみない拍手を送った。 獲得した賞金やタイトルの数以上に、彼が日本競馬に与えた「熱狂」というギフトは計り知れない。 それまでギャンブルとして見られがちだった競馬を、若者や女性をも巻き込む「エンターテインメント」へと変えた功績。 ミスターシービーがいなければ、後のオグリキャップも、武豊も、ディープインパクトも、これほどまでの熱を帯びることはなかったかもしれない。

「三冠達成は、えらいことをしでかしたというのが実感。これからが大変だと思う」
――松山康久

放牧地の隣で過ごした母シービークインの姿を見ながら、彼は静かに余生を終えた。 常識に縛られず、ただ自分の信じるままに駆け抜けたその蹄音は、今も私たちの記憶の中で響き続けている。 昭和という激動の時代、一筋の閃光のように走り抜けたミスターシービー。 彼こそが、日本競馬が生んだ、史上最も愛された「自由」そのものだった。