日本競馬の歴史を「サンデーサイレンス以前・以後」で分けるとするならば、その境目に立っていたのは間違いなくこの馬だった。 漆黒の馬体に、どこまでも突き抜けるような輝きを宿した瞳。 フジキセキ。その名は、父の名を冠しながらも、それ自体が一つの奇跡であることを予言していた。
衝撃の幕開け、そして静寂
1994年の夏、新潟で放たれた一筋の閃光。 出遅れを嘲笑うかのような8馬身差の圧勝劇から、彼の物語は始まった。 朝日杯で見せた、スキーキャプテンとの激闘。弥生賞で見せた、重馬場を切り裂く「二段ロケット」。 誰もが信じて疑わなかった。皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞。 そのすべての頂に立つのは、この漆黒の天才であると。 しかし、運命は残酷な形で終わりを告げる。 弥生賞のわずか数週間後、左前脚に発症した屈腱炎。 「幻の三冠馬」という、あまりにも重く、美しすぎる称号を背負ったまま、彼はターフから姿を消した。
失われた夢の続きを、産駒たちと
現役生活わずか7ヶ月。10回も走っていないそのキャリアは、普通ならばすぐに忘れ去られるはずだった。 しかし、フジキセキは種牡馬として、その失われた「夢の続き」を証明してみせた。 カネヒキリ、イスラボニータ、ストレイトガール……。 砂の王者から芝のスピードスターまで、彼が送り出した産駒たちは、父が走り抜けられなかったターフを、 父の代わりに全力で駆け抜けた。 「SSの血が最高級ベンツであることを知らなかった、初年度産駒の悲劇」 後年、血統評論家がそう称したように、彼は自らの肉体を犠牲にして、サンデーサイレンス時代の幕を開けたのである。
永遠に消えない輝き
2015年12月、フジキセキはこの世を去った。 23歳の生涯だった。彼がかつて見せた圧倒的なスピード、鞭を一度も必要としなかったプライド、 そして屈腱炎という名の絶望。それらすべては、今や伝説という名のフィルターを通し、 より一層の純度を持ってファンの心に刻まれている。 もし彼が無事であったなら。 そんな「もし」を語ることが競馬の醍醐味であるならば、フジキセキこそが、その「もし」を語るに最も相応しい一頭だろう。
「スケールはディープインパクトよりも上だったかもしれない」
――多くの関係者が、今もそう口を揃える。
漆黒の馬体はもういない。しかし、彼が遺した血脈と、あの弥生賞で見せた二段ロケットの衝撃は、 日本競馬が続く限り、永遠に消えることのない輝石(キセキ)として語り継がれていく。




