競馬界には時として、単なるスポーツの枠を超え、一つの文化として国民の心に溶け込む馬が現れる。キタサンブラック。その名前が告げられるとき、私たちの脳裏には熱狂的な「まつり」のメロディと、泥を跳ね飛ばしながら先頭を駆け抜ける漆黒の英雄の姿が鮮明に浮かび上がる。
無名の期待、執念の開花
名門牧場の生産ではなく、セリ値も決して高くはなかった。当初の彼は「演歌歌手の所有馬」という話題性が先行する存在に過ぎなかったのかもしれない。しかし、一戦ごとに彼はその評価を自らの脚で塗り替えていった。菊花賞で見せた内を掬う勝負根性、敗北を知るたびに強くなる精神力。血統の限界説を囁く声を、彼は圧倒的な走りで黙らせ続けた。清水久詞調教師による「限界を超える」ハードトレーニングが、巨体に鋼のような筋肉と、折れない心臓を宿らせたのである。
武豊という、最後のピース
キャリアの後半、天才・武豊と出会ったことで、キタサンブラックは「完成」を見た。武豊は彼の背中に「軽さ」と「賢さ」を見出し、その無尽蔵のスタミナを完璧に御した。天皇賞(春)での不滅のレコード、そして悪夢のような出遅れを挽回した天皇賞(秋)。たとえどんな状況に置かれようとも、彼が先頭に立てば何かを起こしてくれる——そんな全幅の信頼をファンは寄せていた。彼は単に速い馬ではなく、勝つべき時に必ず勝つ「責任感」を持った馬であった。
永遠に鳴り止まない喝采
2017年12月24日。クリスマスイブの中山競馬場。あの日、競馬場に詰めかけた全ての人が「まつり」の終演が近いことを知っていた。自ら引き当てた1枠2番。スタートから一度も先頭を譲ることなく、影をも踏ませぬ逃げ切り。ゴールした瞬間、割れんばかりの「キタサンコール」が冬の空に響き渡った。それは一頭の馬への賞賛であり、私たちに夢を見せてくれた英雄への、心からの感謝の叫びだった。
「僕にとって、最高のパートナー。こんなに格好いい馬はいない」
――C.武豊
キタサンブラックが去った後のターフにも、新しい風は吹き続ける。しかし、あの日見た漆黒の馬体、突き抜けるような青空の下で響いた北島三郎氏の歌声、そして全力を出し切って誇らしげに引き揚げてきた王者の瞳を、私たちは一生忘れることはない。キタサンブラック。彼は、日本競馬がたどり着いた一つの幸福な到達点だった。




