オグリキャップ:芦毛の怪物が駆け抜けた時代
Oguri Cap

The Monster Oguri Cap

「奇跡」という言葉は、
彼のために用意されていた。

PROFILE

生誕1985.03.27
調教師瀬戸口勉 (栗東)
主戦騎手武豊 / 南井克巳 / 河内洋
通算成績44戦25勝 [25-9-3-7]
主な勝鞍 有馬記念 (G1) 2回
安田記念 (G1)
マイルチャンピオンシップ (G1)
毎日王冠 (G2) 2連覇、高松宮杯 (G2)

PEDIGREE

FATHER
ダンシングキャップ
(USA) 1968
Native Dancer
Merry Madcap
×
MOTHER
ホワイトナルビー
(日本) 1974
シルバーシャーク
ネヴァーナルビー

父はアメリカの伝説的芦毛ネイティヴダンサーの直子。母は地方競馬で堅実に走ったホワイトナルビー。 決してエリートとは呼べない血統背景ながら、祖父から受け継いだ強靭な末脚と精神力が、「突然変異」とも称される怪物的人気を生み出した。

CAREER RECORD

主要レース成績

JRA: 32 RUNS 15 - 4 - 1 - 12
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1990.12.23有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m武豊1st
1990.11.25ジャパンカップ (G1)東京 / 芝2400m増沢末夫11th
1990.05.13安田記念 (G1)東京 / 芝1600m武豊1st
1989.11.26ジャパンカップ (G1)東京 / 芝2400m南井克巳2nd
1989.11.19マイルCS (G1)京都 / 芝1600m南井克巳1st
1989.10.08毎日王冠 (G2)東京 / 芝1800m南井克巳1st
1988.12.25有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m岡部幸雄1st
1988.10.30天皇賞・秋 (G1)東京 / 芝2000m河内洋2nd
1988.06.05NZT4歳S (G2)東京 / 芝1600m河内洋1st
1988.03.06ペガサスS (G3)阪神 / 芝1600m河内洋1st
CAREER HIGHLIGHTS

不屈の怪物

01
1988 Arima Kinen
8-10
1988.12.25 / 中山 2500m

FIRST GLORY

第33回 有馬記念

地方笠松から現れた怪物が、ついに中央の頂点へ。宿命のライバル、タマモクロスとの「芦毛対決」三度目の正直。絶望的な差を跳ね返し、最後は半馬身抜け出した。日本中が新しい時代の王者の誕生を確信した瞬間だった。

TIME
2:33.9
FAVORITE
2nd
02
1989 Mile CS
1
1989.11.19 / 京都 1600m

INSANE DASH

第6回 マイルチャンピオンシップ

「届かない!」誰もがそう思った。直線、絶体絶命の包囲網。しかし、南井克巳の激に応えた怪物は、わずかな隙間を割って異次元の脚を繰り出す。ハナ差の勝利。連闘という過酷な運命をねじ伏せた、魂の叫びが聞こえる一戦。

1着 オグリキャップ2着 バンブーメモリー
03
1989 Japan Cup
2
1989.11.26 / 東京 2400m

LIMIT BREAK

第9回 ジャパンカップ

伝説の連闘。マイルCSから中6日、世界強豪を相手に繰り広げられた死闘。ホーリックスと叩き合い、辿り着いたゴール。2着に敗れはしたが、刻まれたタイム「2分22秒2」は当時の世界レコード。限界を超えてなお走り続ける姿に、日本中が涙した。

TIME
2:22.2
RECORD
WORLD
04
1990 Arima Kinen
8
1990.12.23 / 中山 2500m

THE MIRACLE

第35回 有馬記念

二度の惨敗。「オグリは終わった」という冷ややかな視線を浴びながら迎えた引退レース。21歳の若き天才・武豊を背に、怪物は再び目を覚ます。直線、力強く抜け出す姿に地鳴りのようなオグリコール。歴史上、最も美しいラストラン。

1着 オグリキャップ2着 メジロライアン
DATA ANALYTICS

世界を驚かせた
超高速決着

1989年のジャパンカップ。マイルCSからの連闘という常識外のローテーションで出走したオグリキャップは、ニュージーランドの牝馬ホーリックスと歴史的な死闘を演じた。結果はハナ差の2着。しかし、勝ち時計2分22秒2は当時の芝2400mにおける世界レコード。従来の記録を1秒以上更新する、まさに次元の違うスピードだった。

2:22.2

WORLD RECORD TIME

2400m 走破時計

※1989 ジャパンカップ

SPEED EVOLUTION

時計の壁を壊した瞬間
PREVIOUS RECORD2:24.9
JAPAN AVG
OGURI CAP (1989)2:22.2
WORLD STANDARD
TIME GAP-2.7s
UNBELIEVABLE
過去平均との比較
OGURI CAP
しっかりせぇ!
お前、自分を誰や思っとんねん。
オグリキャップやで!
騎手 武豊
1990年 有馬記念直前の叱咤
自分の厩舎の馬だけではなく、
日本中のファンの馬だった。
調教師 瀬戸口勉
引退後の回顧録より
FAN VOICES

語り継がれる熱狂

H

最後の直線、あんなに地響きのような「オグリコール」は後にも先にも聞いたことがありません。馬券を超えた、祈りのような声援でした。彼が勝った瞬間、知らない人と抱き合って泣きました。

S

テレビでオグリキャップを見て初めて競馬場に行きました。芦毛の白い体が泥にまみれて一生懸命走る姿に、自分の人生を重ねて勇気をもらった人は多いはず。彼は私たちのヒーローでした。

Y

笠松から来たオグリが中央のエリートたちを次々に倒していく姿は本当に痛快でした。地方の星が、文字通り日本の頂点まで登り詰めた。その勇姿は今も目に焼き付いています。

BEHIND THE SCENES

芦毛の怪物の横顔

最強と謳われた怪物にも、愛すべき一面があった

01

驚異の食欲「食べる馬」

オグリキャップを語る上で欠かせないのが、その旺盛すぎる食欲だ。厩舎の飼い葉を平らげるのはもちろん、寝藁まで食べてしまうほど。輸送中やレース前でも食欲が落ちることはなく、このタフな胃袋があの過酷な連闘を支えるスタミナの源泉となった。種牡馬になってもその食欲は健在で、ファンからの差し入れのニンジンを心待ちにしていたという。

02

実はかなりの「カナヅチ」

ターフでは異次元のスピードを見せるオグリだが、実は水が大の苦手。トレーニングの一環で行われるプール教習では、溺れているのではないかと心配されるほど泳ぎが下手だった。必死に水面を叩く姿はレース中の威厳とは程遠く、そのギャップがスタッフやファンから愛される理由の一つでもあった。怪物の、あまりにも人間味(馬味)溢れる弱点である。

Tamamo Cross
THE ARCHRIVAL
DESTINY

TAMAMO CROSS

タマモクロス

オグリキャップの前に立ちはだかった、最初の、そして最大の壁。同じ芦毛の英雄タマモクロス。1988年、天皇賞・秋、ジャパンカップ、そして有馬記念。三度にわたる「芦毛対決」は日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。

先に行くタマモをオグリが追う。その究極の競り合いは、単なる勝負を超え、美しさすら漂わせた。タマモクロスという孤高の天才がいたからこそ、オグリキャップは真の「怪物」へと進化したのだ。

二頭が駆け抜けた1988年の冬、競馬場はかつてない熱気に包まれ、伝説のライバル物語として永遠に刻まれることとなった。

1988有馬記念
1stオグリキャップ
vs
2ndタマモクロス

時代を背負った怪物

時代を背負った怪物

1980年代後半、日本がバブルの絶頂へと向かう狂乱の時代。競馬場の外にまで溢れ出した熱狂の中心に、一頭の白い馬がいた。オグリキャップ。地方競馬・笠松からやってきたその馬は、単なる速いサラブレッドではなかった。それは、エリートに立ち向かう雑草の象徴であり、何度転んでも立ち上がる不屈の精神の化身だった。

笠松の誇り、中央への挑戦

岐阜の砂塵舞うコースで8連勝を飾り、鳴り物入りで中央へと移籍したオグリキャップ。しかし、当時の血統偏重主義の中で、彼の血筋は「三流」と揶揄された。それでも彼は走り続けた。重賞を連勝し、最強のライバル・タマモクロスと死闘を演じ、日本中の期待をその背に受け止めた。彼は、地方出身者が都会で成功を掴むという、日本人が最も愛する立身出世の物語を現実のものとして見せつけたのだ。

沈黙と絶望、そして奇跡

しかし、栄光の影には常に過酷な運命があった。限界を超えた連闘、重なる故障。1990年、全盛期の輝きを失った彼は、天皇賞秋で6着、ジャパンカップで11着と惨敗を喫する。誰もが「オグリは終わった」と口にし、引退の二文字が現実味を帯びた。もはや、かつての怪物の面影はないかと思われた。だが、神様は最後に最高のシナリオを用意していた。

17万人のオグリコール

1990年12月23日、中山競馬場。引退レースとなった有馬記念。若き武豊に導かれたオグリキャップは、第4コーナーで魔法にかかったかのように力強く加速した。先頭でゴール板を駆け抜けた瞬間、17万人の観衆から沸き起こった地鳴りのような「オグリコール」。それは勝利への祝福であり、彼が与えてくれた夢への感謝だった。奇跡とは、信じ続ける者だけに訪れるもの。オグリキャップは自らの走りでそれを証明し、伝説となってターフを去った。彼の蹄音は消えても、あの日中山を揺らした熱狂は、今も私たちの心の中に生き続けている。

「競馬の素晴らしさ、騎手という職業の素晴らしさを教えてくれた。僕にとって一生の財産です」
――武豊

通算成績44戦25勝。獲得賞金9億円超。その数字を遥かに凌駕する感動を、彼は一億人に届けた。日本競馬をギャンブルから文化へと昇華させた「芦毛の怪物」。彼ほど愛され、彼ほど日本中を一つにした馬は、後にも先にも存在しないだろう。