競馬界には「ダービーに愛される」という言葉がある。どんなに名手であっても、どんなに名馬であっても、このレースだけは実力以外の何かが微笑まなければ勝てないと言われる。福永祐一にとって、それはあまりにも重く、遠い言葉だった。かつて「天才」と謳われた父・洋一氏が一度も手にすることができなかった栄冠。その背中を追って騎手となった祐一の前に現れたのが、ワグネリアンだった。
大外17番、絶望からの賭け
2018年5月27日、運命の日。ワグネリアンが引き当てたのは、統計的に最も勝利から遠いとされる8枠17番。馬主である金子真人氏、そして調教師の友道氏は絶望した。しかし、福永祐一だけは諦めていなかった。「惨敗のリスクを負ってでも、前に行く」。それはこれまでの自身のスタイルを捨て、馬の精神力を信じ抜く究極の選択だった。大外から鋭く飛び出し、内側に潜り込む。その刹那の判断が、17年間に及ぶ8枠のジンクスを打ち破る楔となった。
亡き父へ捧げるウイニングラン
直線の叩き合い、エポカドーロとの差が半馬身に縮まった瞬間、時が止まったように見えた。福永の右ムチに応え、ワグネリアンがもう一段ギアを上げる。ゴールを駆け抜けたとき、福永は初めて「自分自身の成し遂げたこと」で涙を流した。これまでは伝説の父と比較され続け、その重圧に耐えてきた。だがこの日、彼は「福永洋一の息子」ではなく、一人の「ダービージョッキー・福永祐一」として歴史に刻まれたのである。
謎の死、そして伝説へ
しかし、神様は残酷な結末を用意していた。古馬になってから喉の疾患に苦しみ、勝ち星から見放されながらも現役を続けたワグネリアンを、突如として病魔が襲う。2022年1月5日。死因は胆石による多臓器不全。馬には極めて珍しい、前例のない最期だった。産駒を残すことなく去ってしまった英雄。だが、彼が東京のターフで見せたあの黄金の輝きと、福永祐一の手を引いて頂点へと導いた勇姿は、日本競馬が続く限り語り継がれていく。一頭の馬が、一人の男の人生を変えた。その奇跡の物語の名を、私たちはワグネリアンと呼ぶ。
「彼は僕の人生を変えてくれた。ダービーの後、何も返せなかったことが本当に心残りだ」
――C.福永祐一





