アーモンドアイ。その名の由来となった、美しく大きな瞳が見つめていたのは、誰も到達したことのない未踏の地だった。芝G1九冠。それは単なる数字の羅列ではない。彼女が走り抜けた15戦、その一歩一歩が日本競馬の歴史を塗り替え、私たちの常識を覆し続けた軌跡である。
敗北から始まった物語
物語の始まりは、意外にも敗北だった。2017年8月、新潟のデビュー戦。後に国枝調教師が「一生の悔い」と語るほどの選択ミスにより、彼女は2着に敗れる。しかし、その敗北が主戦ルメール騎手に「この馬は次は絶対に勝つ」という確信を与えた。春のクラシック、桜の舞台で見せた大外一気の加速は、まさに女王誕生の産声だった。オークス、秋華賞。牝馬三冠を盤石の強さで成し遂げた彼女は、そのわずか1ヶ月後、世界を驚愕させることになる。
2分20秒6の衝撃
2018年ジャパンカップ。世界レコードを1.5秒更新するという、科学の限界を超えたような時計。キセキが作った殺人的なハイペースを事もなげに追走し、直線で突き抜けたあの姿は、彼女がもはや日本の牝馬という枠に収まらない存在であることを示した。ドバイでの圧勝、天皇賞での連覇。順風満帆に見えたキャリアにも、有馬記念での大敗や、安田記念での惜敗という影が差したこともあった。しかし、彼女は倒れるたびに、より強くなって戻ってきた。
「愛」が溢れたラストダンス
2020年秋、天皇賞。芝G1・8勝目という金字塔を打ち立てた直後、クールなルメール騎手が人目を憚らず流した涙。それは、完璧すぎる相棒への深い敬愛と、終わりの始まりを告げる惜別の情だった。そして引退レースとなったジャパンカップ。そこには無敗の三冠牡馬コントレイル、無敗の三冠牝馬デアリングタクトがいた。世代交代を望む声もあったが、女王はそれを許さなかった。力強く、凛々しく、後続を突き放したその背中は、最後まで「最強」であり続ける者の威厳に満ちていた。
「彼女とのラブストーリーが終わるのはさみしい。彼女を愛しています」
――C.ルメール
引退後、彼女は母となった。そして2024年、世界最強馬イクイノックスとの間に新たな命を授かった。黄金の血脈は次代へと受け継がれ、彼女が見つめた景色の続きを、いつかその子が教えてくれるだろう。九つの冠を抱いた女王、アーモンドアイ。彼女がターフに残した美しき蹄跡は、日本競馬が存在する限り、永遠に語り継がれる神話となる。




