その馬名には「素晴らしい景色」「絶景」という意味が込められていた。 父スペシャルウィーク、母ビワハイジ。日本競馬の結晶のような血統を持って生まれた彼女は、その名の通り、私たちに数々の美しい景色を見せてくれた。 大外から全馬を撫で斬る豪快な末脚、牡馬をもねじ伏せる力強さ、そして時折見せる脆ささえも、彼女の物語を彩る重要な要素だった。
天才少女の光と影
デビューから彼女の才能は際立っていた。 阪神ジュベナイルフィリーズ、桜花賞、オークス。同世代の牝馬相手には力が違いすぎた。 特に桜花賞での、大外から一気に他馬を飲み込むレースぶりは、多くのファンに「ディープインパクトの再来」を予感させた。 しかし、順風満帆に見えたキャリアにも影が差す。 秋華賞での降着、エリザベス女王杯での敗戦。凱旋門賞への挑戦プランも白紙となり、天才少女は早くも「勝負の厳しさ」を知ることになる。
試練を越えて、真の女王へ
古馬となってからの彼女の戦いは、まさに茨の道だった。 2010年の天皇賞(秋)で鮮やかな勝利を飾るも、続くジャパンカップでは1位入線しながら進路妨害により2着降着。 有馬記念ではヴィクトワールピサにわずか2センチ差で敗れた。 「最強なのに、勝ちきれない」。そんなジレンマを抱えながらも、彼女は走り続けた。 19戦連続1番人気という記録は、ファンが彼女の不運を嘆きながらも、その実力を誰よりも信じていたことの証明である。
涙のジャパンカップ
そして迎えた2011年のジャパンカップ。 前年の悪夢を振り払うかのように、彼女は東京の直線を駆け抜けた。 トーセンジョーダンとの叩き合いをハナ差で制し、電光掲示板の頂点に「1」が灯った瞬間、鞍上の岩田康誠騎手は男泣きした。 それは、度重なる惜敗とプレッシャーから解放された安堵の涙であり、稀代の名牝への感謝の涙だった。 この勝利で、彼女はJRA史上最多となる総獲得賞金14億7000万円(当時)を記録。名実ともに日本競馬の頂点に立った。
「彼女の背中が、僕に勇気を教えてくれた」
――岩田康誠
通算23戦9勝。G1・6勝。 その数字以上に、ブエナビスタという馬はファンの心に残っている。 彼女がターフを去った日、中山競馬場には6万人のファンが詰めかけた。 ひたむきに走り、何度も挫折し、それでも最後は頂点に立った小さな女王。 彼女が駆け抜けた後に広がっていたのは、紛れもなく、私たちが見たかった「絶景」そのものだった。




