Mayano Top Gun

The Maverick Mayano Top Gun

「常識」という枠組みすら、
彼には退屈すぎた。

PROFILE

生誕1992.03.24
調教師坂口正大 (栗東)
主戦騎手田原成貴
通算成績21戦8勝 [8-4-3-6]
主な勝鞍 有馬記念 (GI)
天皇賞・春 (GI)
菊花賞 (GI)
宝塚記念 (GI)

PEDIGREE

FATHER
ブライアンズタイム
(米) 1985
Roberto
Kelley's Day
×
MOTHER
アルプミープリーズ
(米) 1981
Blushing Groom
Swiss

父はロベルト系の底力あるスタミナを、母の父はブラッシンググルームのスピードと気性を伝えた。 計算された配合は、逃げても差しても強い、どんな戦法もこなす万能のステイヤーを生み出した。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 21 RUNS 8 - 4 - 3 - 6
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1997.04.27天皇賞・春 (GI)京都 / 芝3200m田原成貴1st
1997.03.16阪神大賞典 (GII)阪神 / 芝3000m田原成貴1st
1996.12.22有馬記念 (GI)中山 / 芝2500m田原成貴7th
1996.10.27天皇賞・秋 (GI)東京 / 芝2000m田原成貴2nd
1996.09.15オールカマー (GII)中山 / 芝2200m田原成貴4th
1996.07.07宝塚記念 (GI)阪神 / 芝2200m田原成貴1st
1996.04.21天皇賞・春 (GI)京都 / 芝3200m田原成貴5th
1996.03.09阪神大賞典 (GII)阪神 / 芝3000m田原成貴2nd
1995.12.24有馬記念 (GI)中山 / 芝2500m田原成貴1st
1995.11.05菊花賞 (GI)京都 / 芝3000m田原成貴1st
CAREER HIGHLIGHTS

変幻自在の天才

01
Kikuka Sho
5-10
1995.11.05 / 京都 3000m

THE IMPACT

第56回 菊花賞

3番人気で迎えたクラシック最終戦。好位4番手から早めに抜け出すと、ダンスパートナーらの猛追を振り切りレコード勝ち。 ゴール後、鞍上の田原成貴が見せた投げキッスとともに、新星の誕生を強烈に印象づけた。

TIME
3:04.4
RECORD
NEW
02
Arima Kinen
10
1995.12.24 / 中山 2500m

THE SURPRISE

第40回 有馬記念

古馬との初対決。菊花賞の先行策から一転、誰もが予想しなかった逃げの手に出た。 復活を期すナリタブライアンやヒシアマゾンらの追撃を封じ込め、影をも踏ませぬ逃走劇。 震災の年に希望の光を灯した、鮮烈なグランプリ制覇。

1着 マヤノトップガン 2着 タイキブリザード
03
Tenno Sho Spring
3-4
1997.04.27 / 京都 3200m

THE TRANSFORMATION

第115回 天皇賞(春)

サクラローレル、マーベラスサンデーとの「三強」対決。 それまでの先行策を全て捨て、まさかの最後方待機を選択。 直線、大外から一気の末脚を繰り出すと、前を行く2頭を並ぶ間もなく差し切った。 従来の記録を2.7秒も縮める、驚愕の世界レコードだった。

TIME
3:14.4
RECORD
WORLD
DATA ANALYTICS

常識を覆した
不滅のレコード

1997年の天皇賞(春)。脚質を「追い込み」へと転換したマヤノトップガンは、淀の3200mを駆け抜けた。 叩き出したタイムは3分14秒4。 これはライスシャワーが保持していた従来のレコードを2.7秒も短縮する驚異的な記録だった。 長距離戦の概念を根底から覆したこのタイムは、その後10年近く破られることのない金字塔となった。

3:14.4

WORLD RECORD

3200m 走破時計

※1997 天皇賞(春)当時

RECORD BREAKING

衝撃の2.7秒短縮
CONVENTIONAL RECORD 3:17.1
RICE SHOWER
MAYANO TOP GUN (1997) 3:14.4
UNKNOWN ZONE
TIME DIFFERENCE -2.7s
HUGE GAP
タイム短縮幅
MAVERICK
展開を考えた時点でボクの中では狂ってくる。
あくまでも、マヤノトップガンとボクなんだよね。
主戦騎手 田原成貴
天皇賞(春)直前のインタビューより
マスコミには弱いと書かれたが、
うちの馬が一番強かったじゃないか。
調教師 坂口正大
レコード勝ちの後に
FAN VOICES

ファンからの声

K

震災で辛いことばかりだった1年。 有馬記念でのトップガンの逃げ切りを見て、涙が止まりませんでした。 被災地の私たちに、最高の勇気をありがとう。

S

阪神大賞典のマッチレースは一生の思い出。 ブライアンとトップガン、互いに一歩も譲らず並んでゴール。 勝ち負けを超えた、魂のぶつかり合いを見せてもらいました。

Y

ゲームで「変幻自在」の意味を知り、過去の映像を見ました。 逃げて勝った馬が、最後に追い込んでレコード勝ちなんて信じられない。 田原騎手とのコンビも最高にカッコいいです。

BEHIND THE SCENES

秘蔵エピソード

自由奔放な天才と、彼を支えた人々の知られざる物語

01

天国からの後押し

1995年1月17日、阪神・淡路大震災。 馬主の田所祐氏は神戸で被災し、最愛の弟夫婦を亡くした。 深い悲しみの中、マヤノトップガンはその年の秋、菊花賞と有馬記念を連勝する。 「死んだ弟が、あの世から後押ししてくれたんや」 田所氏はそう語り、愛馬の活躍に希望を見出したという。

02

天才は気難しい

マヤノトップガンは非常に繊細で、気分屋な一面があった。 調教をやりすぎるとへそを曲げ、レースで走らなくなってしまう。 1996年春の天皇賞での敗戦は、まさに「仕上げすぎ」が原因だったと坂口調教師は悔やんだ。 田原騎手も「彼とは会話が必要」と語り、型にはめない騎乗で天才のやる気を引き出したのだ。

Narita Brian
THE MONSTER
ETERNAL RIVAL

NARITA BRIAN

ナリタブライアン

三冠馬として君臨した「シャドーロールの怪物」。 マヤノトップガンにとって、彼は越えるべき絶対的な壁であり、最高の好敵手だった。

1996年、阪神大賞典。 新旧年度代表馬の対決は、競馬史に残る伝説のマッチレースとなった。 第3コーナーから2頭だけが抜け出し、火の出るような競り合いを展開。 アタマ差で敗れはしたが、互いのプライドがぶつかり合ったあの直線の攻防は、 勝ち負けを超えた「名勝負」としてファンの心に刻まれている。

1996 阪神大賞典
2nd マヤノトップガン
vs
1st ナリタブライアン

空を駆けた撃墜王

空を駆けた撃墜王

型にはまらない。常識に縛られない。マヤノトップガンという馬を表現するなら、そんな言葉がふさわしいだろう。 逃げてGIを勝ち、先行してレコードを出し、最後は追い込んで世界記録を作る。 変幻自在の脚質は、まさに空を自由に飛び回る戦闘機「トップガン」そのものだった。

遅れてきた異才

デビュー当初はダートを使われ、脚元の不安から思うような調整もできなかった。 しかし、芝に転向するとその才能が一気に開花する。 秋の菊花賞でレコード勝ちを収めると、続く有馬記念では古馬を相手に堂々の逃げ切り勝ち。 震災の年に現れた新星は、被災地・神戸の馬主、そして多くのファンにとって、復興への希望の光となった。 投げキッスをする派手なジョッキー田原成貴と、栗毛の馬体。そのコンビは瞬く間に時代の寵児となった。

悩み、そして悟りへ

翌年は苦悩の年となった。ナリタブライアンとの死闘に敗れ、調整ミスで大敗も喫した。 「先行して押し切る」という勝ちパターンを覚えれば覚えるほど、彼は走る楽しみを見失っていったのかもしれない。 迎えた1997年、天皇賞・春。 田原騎手は決断する。「位置取りなど考えない。彼のリズムで走らせる」と。 それは、これまでの勝利の方程式をすべて捨てる、危険な賭けだった。

伝説のラストフライト

レースはサクラローレルとマーベラスサンデーのマッチレースになるかと思われた。 しかし、大外から一頭、オレンジ色の帽子が飛んできた。 最後方からすべてを抜き去る、鬼のような末脚。 3分14秒4。常識を2秒以上も置き去りにしたそのタイムは、彼が「型」から解き放たれ、真の自由を手に入れた証だった。 ゴール後、田原騎手はガッツポーズもせず、ただ静かに馬の首筋を撫でた。 それは、人馬が完全に一体となった瞬間の、静謐な美しさだった。

「あれは作戦じゃない。彼がそう走りたかったから、そう走ったんだ」
――田原成貴

その後、屈腱炎によりターフを去ったマヤノトップガン。 しかし、彼が残した「どんな位置からでも勝てる」という変幻自在の走りは、最強馬の定義に新たな1ページを加えた。 カテゴリーや戦法という枠組みを軽々と飛び越え、空を駆けるように自由に走った栗毛の天才。 その鮮烈な航跡雲は、いつまでもファンの心の中に残っている。