Special Week

The General Special Week

「日本総大将」
その名は、伝説となった。

PROFILE

生誕1995.05.02
調教師白井寿昭 (栗東)
主戦騎手武豊
通算成績17戦10勝 [10-4-2-1]
主な勝鞍 東京優駿 (G1)
天皇賞・春 (G1)、天皇賞・秋 (G1)
ジャパンカップ (G1)
阪神大賞典 (G2)

PEDIGREE

FATHER
サンデーサイレンス
(米) 1986
Halo
Wishing Well
×
MOTHER
キャンペンガール
(日本) 1987
マルゼンスキー
レディーシラオキ

父は日本競馬を変えた大種牡馬、母の父は伝説のスーパーカー。 生後すぐに母を亡くし、乳母に育てられた数奇な運命を持つ。 人の手によって育まれた優しさと、偉大な血脈から受け継いだ爆発的な末脚が同居していた。

CAREER RECORD

全レース成績

TOTAL: 17 RUNS 10 - 4 - 2 - 1
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
1999.12.26有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m武豊2nd
1999.11.28ジャパンカップ (G1)東京 / 芝2400m武豊1st
1999.10.31天皇賞・秋 (G1)東京 / 芝2000m武豊1st
1999.10.10京都大賞典 (G2)京都 / 芝2400m武豊7th
1999.07.11宝塚記念 (G1)阪神 / 芝2200m武豊2nd
1999.05.02天皇賞・春 (G1)京都 / 芝3200m武豊1st
1999.03.21阪神大賞典 (G2)阪神 / 芝3000m武豊1st
1999.01.24AJCC (G2)中山 / 芝2200mO.ペリエ1st
1998.11.29ジャパンカップ (G1)東京 / 芝2400m岡部幸雄3rd
1998.11.08菊花賞 (G1)京都 / 芝3000m武豊2nd
1998.10.18京都新聞杯 (G2)京都 / 芝2200m武豊1st
1998.06.07東京優駿 (G1)東京 / 芝2400m武豊1st
1998.04.19皐月賞 (G1)中山 / 芝2000m武豊3rd
1998.03.08弥生賞 (G2)中山 / 芝2000m武豊1st
1998.02.08きさらぎ賞 (G3)京都 / 芝1800m武豊1st
1998.01.06白梅賞 (500万)京都 / 芝1600m武豊2nd
1997.11.293歳新馬阪神 / 芝1600m武豊1st
CAREER HIGHLIGHTS

黄金の軌跡

01
Tokyo Yushun
1-2
1998.06.07 / 東京 2400m

THE DREAM

第65回 東京優駿 (日本ダービー)

天才騎手・武豊が唯一手にしていなかったタイトル、ダービー。 1番人気を背負い、直線で力強く抜け出すと、独走態勢に入った。 5馬身差の圧勝。ゴール後、鞭をステッキのように持ち、高々と掲げるガッツポーズ。 「僕はこれほど強い馬に乗っていたんです」と、その強さを世界に誇示した。

TIME
2:25.8
MARGIN
5 Lengths
02
Tenno Sho Spring
6
1999.05.02 / 京都 3200m

THE RECORD

第119回 天皇賞(春)

ライバルであるセイウンスカイ、メジロブライトとの三強対決。 マークされながらも、直線で鮮やかに抜け出し、最後はブライトの追撃をクビ差で封じ込める。 勝ち時計3分15秒3は当時のレコード。 力でねじ伏せる横綱相撲で、古馬最強の座へと名乗りを上げた。

1着 スペシャルウィーク 2着 メジロブライト
03
Tenno Sho Autumn
5-9
1999.10.31 / 東京 2000m

THE REVIVAL

第120回 天皇賞(秋)

前哨戦でのまさかの7着大敗。引退説すら囁かれる中、白井調教師は「鬼」となり、馬体を16kg絞り込む究極の仕上げを施した。 レースでは後方待機から大外一気。怒涛の末脚で全馬をごぼう抜きにし、ステイゴールドを差し切る。 タマモクロス以来2頭目となる春秋連覇の偉業は、どん底からの復活劇によって成し遂げられた。

TIME
1:58.0
Last 3F
34.5
04
Japan Cup
6
1999.11.28 / 東京 2400m

THE GENERAL

第19回 ジャパンカップ

凱旋門賞馬モンジューら世界の強豪を迎えた一戦。 「日本総大将」として迎え撃った彼は、直線で鮮やかに抜け出し、世界最強馬の追撃を完封した。 日本馬のレベルが世界に到達したことを証明した瞬間であり、彼のキャリアにおける最高傑作とも言える勝利だった。

1着 スペシャルウィーク 2着 インディジェナス
DATA ANALYTICS

日本競馬史を塗り替えた
歴代最高賞金

天皇賞春秋連覇、そしてジャパンカップ制覇。 数々のビッグタイトルを手にしたスペシャルウィークが引退時に到達したのは、当時の日本競馬史上最高となる獲得賞金記録だった。 10億9262万円という天文学的な数字は、彼がいかにタフに走り、そして勝ち続けたかの証明である。 「王道」を歩み続けた総大将の勲章と言えるだろう。

10.9

JAPAN RECORD

総獲得賞金 (当時1位)

※引退時点 (1999年)

PRIZE MONEY RANKING

賞金王への道
PREVIOUS RECORD 10.2 Bil
NARITA BRIAN
SPECIAL WEEK 10.9 Bil
NEW RECORD
RECORD BREAKING TOP
HISTORY MAKER
歴代1位更新 (当時)
SPECIAL
“
ダービーを勝った瞬間、
僕はこれほど強い馬に乗っていたんですと、
世界中に伝えたかった。
主戦騎手 武豊
日本ダービー勝利インタビューより
“
やってくれたよ、馬もユタカも。
ダービーの時もこんなに声は出なかった。
調教師 白井寿昭
天皇賞(秋) 復活の勝利にて
FAN VOICES

ファンからの声

Y

武豊がついにダービーを勝った日。あのガッツポーズを見た瞬間、涙が止まらなかった。 「ああ、競馬を見ていてよかった」と心から思える最高の瞬間でした。

K

有馬記念のラストラン。グラスワンダーとの壮絶な叩き合い。 負けはしたけれど、あの4cm差の勝負こそが競馬の醍醐味。最強世代の激闘を目撃できて幸せだった。

A

アニメを見てスペシャルウィークを知りました。 お母さんがいない生い立ちや、ライバルたちとの友情を知ってから実際のレース映像を見ると、 ひたむきに走る姿に勇気をもらえます。

BEHIND THE SCENES

秘蔵エピソード

日本総大将の知られざる素顔と、陣営の執念

01

人間への深い信頼

生後わずか5日で母を亡くした彼は、気性の荒い乳母馬に育てられた。 そのため、幼少期から多くの牧場スタッフの手によって世話をされ、 サンデーサイレンス産駒としては珍しく、非常に人懐っこく穏やかな性格に育ったという。 武豊騎手が「乗り味が軽やか」と評したその走りは、人への深い信頼関係から生まれたものだったのかもしれない。

02

執念の「カッパ輸送」

天皇賞(秋)の前、調子の上がらない彼に対し、白井調教師は「鬼」となった。 京都大賞典での太め残りを解消するため、東京への長距離輸送の際、 あえて馬体に負担のかかる「カッパ(馬服)」を着せて汗をかかせたのだ。 結果、体重は16kg減。極限まで絞り込まれたその体で、彼は奇跡の復活劇を演じた。

Grass Wonder
THE ARCHRIVAL
DESTINY

GRASS WONDER

グラスワンダー

黄金世代において、スペシャルウィークの前に立ちはだかり続けた「怪物」。 宝塚記念での3馬身差の敗北、そして伝説となった1999年有馬記念。

引退レースとなった有馬記念の直線。 武豊騎手が「勝った」と確信するほどの手応えで追い込んだが、わずか4cm、ハナ差だけグラスワンダーが前に出ていた。

日本総大将とグランプリホース。 互いに全力を出し尽くしたその死闘は、ライバル関係の到達点として今も語り継がれている。

1999 有馬記念
2nd スペシャルウィーク
vs
1st グラスワンダー

想いを背負って

想いを背負って

その馬生は、喪失から始まった。 生まれてすぐに母キャンペーンガールを亡くし、母の愛を知らずに育った栗毛の仔馬。 しかし、彼は孤独ではなかった。牧場の人々の愛情、そして彼を取り巻く多くの期待が、彼を強く、逞しく育て上げた。 「スペシャルウィーク」。特別な一週間。その名の通り、彼は週末の競馬場に特別なドラマを運び続けた。

天才との出会い、ダービーへの悲願

デビューから手綱を取ったのは、若き天才・武豊。 すでに数々の記録を打ち立てていた彼にとっても、日本ダービーのタイトルだけは未だ掴めぬ夢だった。 「この馬なら勝てる」。そう確信して挑んだ1998年の東京優駿。 直線、白い帽子が弾むように抜け出すと、そこには誰も追いつけない独走劇が待っていた。 5馬身差の圧勝。ゴール後、高々と掲げられた右手の鞭。それは騎手にとっても、馬にとっても、生涯忘れ得ぬ「特別な日」となった。

挫折、復活、そして総大将へ

順風満帆に見えたキャリアにも、暗雲は立ち込めた。 古馬となり、同期のライバルたちに苦杯を舐めさせられる日々。 特に1999年秋、京都大賞典での惨敗は、周囲に「終わった」と思わせるに十分だった。 しかし、陣営は諦めなかった。過酷な調教、極限の減量。 「もう一度、強いスペシャルウィークを見せる」。 その執念が実を結んだ天皇賞(秋)。怒涛の追い込みで復活を果たすと、続くジャパンカップでは世界の強豪を真っ向からねじ伏せた。 「日本総大将」。誰からともなくそう呼ばれるようになった彼は、名実ともに日本最強の座に君臨した。

夕暮れの中山、永遠の4センチ

引退レースとなった有馬記念。 宿敵グラスワンダーとの最後の一騎打ち。 中山の急坂を駆け上がり、二頭の馬体が完全に重なってゴール板を駆け抜けた。 武豊が勝利を確信してウイニングランを行い、観客もまた、彼の有終の美を称えた。 しかし、写真判定の結果は2着。その差、わずか4センチ。 だが、その敗北すらもドラマチックだった。 すべてを出し尽くしたその姿に、勝敗を超えた感動がそこにはあった。

「最高の馬でした。僕にダービージョッキーの栄誉をくれた、一生忘れられない馬です」
――武豊

17戦10勝。 数字以上の記憶を残し、スペシャルウィークはターフを去った。 母を知らずに生まれ、多くの人に愛され、天才騎手の夢を叶え、日本競馬の誇りとなった馬。 黄金世代の真ん中で、ひたむきに走り続けたその勇姿は、 いつまでも色褪せることなく、私たちの心の中を駆け抜けていく。