T.M. Opera O

The Conqueror T.M. Opera O

「覇王」という称号は、
彼のためにあった。

PROFILE

生誕1996.03.13
調教師岩元市三 (栗東)
主戦騎手和田竜二
通算成績26戦14勝 [14-6-3-3]
主な勝鞍 有馬記念 (G1)
ジャパンカップ (G1)
天皇賞・春 (G1) 2連覇、天皇賞・秋 (G1)
宝塚記念 (G1)、2000年 年間全勝

PEDIGREE

FATHER
オペラハウス
(英) 1988
Sadler's Wells
Colorspin
×
MOTHER
ワンスウエド
(米) 1984
Blushing Groom
Noura

父は欧州の重厚なサドラーズウェルズ系、母の父はブラッシンググルーム。 当時は地味と評された血統だが、欧州由来の無尽蔵のスタミナと類稀なる勝負根性は、まさに王者の資質だった。

CAREER RECORD

全レース成績(抜粋)

TOTAL: 26 RUNS 14 - 6 - 3 - 3
DATERACE NAMECOURSE / DIST.JOCKEYRESULT
2001.12.23有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m和田竜二5th
2001.11.25ジャパンカップ (G1)東京 / 芝2400m和田竜二2nd
2001.04.29天皇賞・春 (G1)京都 / 芝3200m和田竜二1st
2000.12.24有馬記念 (G1)中山 / 芝2500m和田竜二1st
2000.11.26ジャパンカップ (G1)東京 / 芝2400m和田竜二1st
2000.10.29天皇賞・秋 (G1)東京 / 芝2000m和田竜二1st
2000.06.25宝塚記念 (G1)阪神 / 芝2200m和田竜二1st
2000.04.30天皇賞・春 (G1)京都 / 芝3200m和田竜二1st
1999.06.06日本ダービー (G1)東京 / 芝2400m和田竜二3rd
1999.04.18皐月賞 (G1)中山 / 芝2000m和田竜二1st
CAREER HIGHLIGHTS

覇王の証明

01
Satsuki Sho
5-10
1999.04.18 / 中山 2000m

THE ARRIVAL

第59回 皐月賞

追加登録料200万円を支払い、滑り込みで挑んだクラシック初戦。 5番人気の評価を覆し、豪快な末脚でライバルたちをねじ伏せた。 「世紀末覇王」の伝説は、ここから静かに幕を開けた。

TIME
2:00.7
LAST 3F
35.3
02
Takarazuka Kinen
8
2000.06.25 / 阪神 2200m

THE IMPACT

第41回 宝塚記念

最後の直線、メイショウドトウとの激しい叩き合い。 クビ差で制したこの勝利から、両馬の長く熱いライバル関係と、 オペラオーの「負けない伝説」が加速していく。

1着 テイエムオペラオー 2着 メイショウドトウ
03
Arima Kinen
4-7
2000.12.24 / 中山 2500m

THE MIRACLE

第45回 有馬記念

「オペラオー包囲網」。他陣営による徹底的なマークで馬群に閉じ込められ、絶体絶命の窮地。 しかし、残り100mでわずかな隙間をこじ開け、ごぼう抜き。 年間全勝という神話を完結させた。

TIME
2:34.1
RECORD
8/8 Wins
04
Tenno Sho Spring
1
2001.04.29 / 京都 3200m

THE EMPEROR

第123回 天皇賞(春)

世紀を跨いでの天皇賞3連覇という偉業。 降りしきる雨の中、重馬場をもろともせず、王者の貫禄を見せつけた。 古馬中長距離路線の完全制圧を成し遂げた一戦。

1着 テイエムオペラオー 2着 メイショウドトウ
DATA ANALYTICS

不滅の
賞金王記録

サンデーサイレンス全盛の時代に、非主流の血統で王道を突き進んだテイエムオペラオー。 彼が積み上げた獲得賞金18億3518万円は、当時の世界最高額であった。 この記録はキタサンブラックに破られるまで、約16年もの長きにわたり頂点に君臨し続けた。 価値観が変わろうとも、その数字の重みは色褪せない。

18.3B

WORLD RECORD

生涯獲得賞金

※当時・世界最高額

MONUMENTAL RECORD

16年間破られぬ金字塔
PREVIOUS RECORD 10.9 Billion
SPECIAL WEEK
T.M.OPERA O 18.3 Billion
THE CONQUEROR
DIFFERENCE +7.4 Billion
OVERWHELMING
記録更新幅
OPERA O
オペラオーにはたくさんの物を貰った。
でも、僕はあの馬に何も返せなかった。
主戦騎手 和田竜二
引退式での涙
レースが終わってもバタバタしない。
自分が大将だと分かっている振る舞いだった。
調教師 岩元市三
インタビューより
FAN VOICES

ファンからの声

Y

あの有馬記念の絶望的な包囲網。もうダメだと思った瞬間、馬群を割って突き抜けてきた。 「強い」なんて言葉じゃ足りない。神がかっていました。

K

和田騎手が17年越しにG1を勝った日。勝利インタビューでの男泣きを見て、 天国のオペラオーが背中を押してくれたんだと確信しました。最高のコンビです。

S

ゲームで「世紀末覇王」を知り、史実の動画を見ました。 本当に漫画の主人公みたいな強さと、ナルシストな振る舞いに魅了されました。

BEHIND THE SCENES

覇王の素顔

絶対王者と呼ばれた彼にも、人間味溢れるユニークな一面があった

01

光り輝くナルシスト?

竹園オーナーがセリ市で彼を見た時、「後光が差して見えた」と語り、予算オーバーでも競り落とした逸話は有名だ。 現役時代もカメラを向けるとポーズを取ったり、観客の歓声を自分への称賛と理解しているような堂々たる振る舞いを見せ、 「自分が美しいことを知っている」と関係者に言わしめた。

02

最後のニンジンの味

引退レースとなった2001年有馬記念。5着に敗れた直後、担当の原口厩務員が労いのニンジンを差し出した。 しかし、いつもなら喜んで食べるはずの彼は、口をつけようとしなかったという。 「負けたことが分かっていたのかもしれない」と原口氏は語る。 覇王のプライドは、最後まで高く気高かった。

Meisho Doto
THE CHALLENGER
DESTINY

MEISHO DOTO

メイショウドトウ

光があるところに影があるように、覇王の背後には常にこの栗毛の馬がいた。 2000年の王道G1すべてにおいて、1着オペラオー、2着ドトウ。 実力は間違いなく王者級でありながら、あと一歩、どうしても届かない。

しかし2001年、宝塚記念。 6度目の正直でついにオペラオーを破り、先頭でゴール板を駆け抜けた瞬間、 競馬場は判官贔屓の大歓声に包まれた。 最強のライバルがいたからこそ、覇王の伝説はより輝きを増したのだ。

2001 宝塚記念
2nd テイエムオペラオー
vs
1st メイショウドトウ

世紀末の完全覇者

世紀末の完全覇者

20世紀の終わり、ミレニアムイヤーと呼ばれた2000年。 日本競馬史において、これほどまでに「完璧」という言葉が似合う一年は他になかっただろう。 テイエムオペラオー。 サンデーサイレンス系全盛の時代に、欧州の重厚な血統を武器に現れたこの栗毛の王者は、 年間8戦8勝、G1・5勝という、空前絶後のグランドスラムを成し遂げた。

若き騎手と共に歩んだ道

彼の背中には常に、若き日の和田竜二がいた。 デビューから引退までの全26戦、一度も手綱を譲ることはなかった。 クラシックでナリタトップロードやアドマイヤベガとしのぎを削った4歳時(現3歳)、 勝ちきれないレースが続いた時も、岩元調教師は乗り替わりを拒否した。 「和田を降ろすなら転厩させる」。 師匠の覚悟と、それに応えようとする若武者の執念。 そして何より、パートナーの成長を待つかのようなオペラオーの度量の深さが、最強のチームを築き上げていった。

包囲網を打ち破る「個の力」

その強さが頂点に達したのは、2000年の有馬記念だろう。 年間全勝がかかった大一番。ライバル陣営は一丸となって「打倒オペラオー」の包囲網を敷いた。 四方を完全に塞がれ、直線入り口でも行き場がない絶体絶命のポジション。 誰もが「終わった」と思ったその時、彼はわずかな隙間に自ら飛び込み、こじ開けた。 それは騎手の指示を超えた、王者の本能だったのかもしれない。 ゴール寸前での逆転劇。年間全勝という神話が完結した瞬間だった。

覇王が遺したもの

翌年、新時代の足音が近づくと共に、王者の力にも陰りが見え始めた。 それでも彼は走り続けた。ボロボロになっても、王座を守るために。 引退式での和田騎手の涙。「オペラオーには何も返せなかった」という言葉は、 17年後、彼がミッキーロケットで宝塚記念を制した時に「オペラオーが背中を押してくれた」という感謝へと変わる。

「彼はただ強いだけじゃない。人の想いを背負って走る、真の英雄だった」
――関係者談

獲得賞金18億3518万円。 その記録は後に更新されたが、世紀末に見せたあの圧倒的なパフォーマンスの価値が下がることはない。 派手な圧勝劇よりも、どんなに苦しい展開でも最後は必ずハナ差だけ前に出ている、その泥臭いまでの勝負根性。 テイエムオペラオー。 彼こそは、世紀末に降臨し、新世紀へとバトンを繋いだ、永遠の「覇王」である。